一昨日、巨人OBと台湾OBのチャリティーマッチが行われた。
76歳の王が打席に立ち、台湾OB、巨人OB、観客が総立ちとなり、王の打席を注視した。
真のレジェンド・王の打席には、誰もが視線を逸らすことなどできない。
同じチームの巨人OBですら、携帯カメラを構えていた。
76歳だからということではなく、
大病して以来、小さくなってしまった体がために打球は前に飛ばなかった。
それでも、この日のスイングは鋭く、きれいだった。
今、大谷が規格外で、20数年前イチローが超新星だったように、あの頃の王は、
一人、先を走っていたことが容易に想像できる。あの時代では突出し過ぎていた。
現代でも王の打棒をもってすれば、ホームランを打つに違いない。
王のあのふくらはぎが、大病せず、ただ年をとっていただけなら、この日も豪打を見せたに違いない。
本当にかっこいい。
王が打席に立ったことから、今日はホームランの話題をしてみよう。
昨日は、松井と黒田の対談を話題にした。
昨日のこの場での最後は、
松井は20年間で2643安打、507ホームラン。
海外でのプレーがプロ生活の半分くらいだったこと、
海外に渡り打ち方を変えたこと、
晩年は不遇だったことを考えると、
日本に居続けていたら3000本のヒットを越え、ホームランも野村を超えていただろう。と記した。
そして通算ホームラン3位は、元南海のホームラン打者・門田。
30年近く前「不惑の大砲」と呼ばれ、40代でホームラン王になった。
以前の日本の常識は、「ホームランはヒットの延長。」というものがあった。
門田は、常にホームランを狙い、「ホームランの打ち損ないがヒット」とバッティングをとらえていた。
これに、当時、監督だった野村克也は、王と顔を合わせた際、
「なあワンちゃん。カド(門田)に言ってやってくれよ。ヒットの延長がホームランだよな。」
と王からも諭してもらおうと思ったそうだ。
門田は、天理高校時代、ホームランを打ったことがなかったそうだ。
体の小さい門田は、ホームランを打ちたいと高校卒業後、鍛練を重ね、
ホームランにこだわりを持つようになったと聞く。
「ホームランはヒットの延長。」の常識は、
大きい成功を狙う。とか
1人で手柄をたてる。とか
一気に功名を得るなどのことが、
良しとされない文化に由来しているように思われる。
コツコツやって、地道にやっていくことが良しとされる日本社会に浸透しているものの捉え方が
ここにも影響されているのではと思われるのだ。
ホームランを打つことは、ヒットを打つことより確率は落ちるから。
野球の戦況によっては、狙うことが許される場面がある。
ベンチもホームランが欲しいと願う場面がある。
確率が低くとも、これに賭けてみようと決断する時があるわけだ。
高校野球の名勝負として、いつでも必ず特集される星稜-簑島。
12回に同点ホームランを放った選手は、負けを覚悟した尾藤監督に
「ホームランを狙っていいですか。」
と言って打席に向かい、見事ホームランにしてこの劇的一戦を演出したそう。
体が大きくなく、アベレージヒッターである篠塚は、
「私は92本のホームランを打ってきたが、狙えばもっと打てたと思う。ボールを飛ばすことについては自信があった。私のホームランのほとんどが狙って打ったもの。」
と言っている。
たしかに篠塚現役時代、
フリーバッティングでは、ホームランバッター(例えば原とか。)より
多くスタンドに放り込んでいたと証言する人が多くいる。
イチローも過去に、
ホームランは、100%狙って打つと言っていた頃がある。
94年に日本プロ野球で初めて200安打以上した後の95年は本塁打争いもした。
なぜ、こんなに急に飛距離が伸びたのか?の問いに、
「飛距離は変わっていません。その確率が高くなったということです。」と答えている。
慣れやコツなどで狙ってオーバーフェンスする確率が高くなったということだろう。
古田も、
「僕らのようなホームランバッターでない人間は、狙わなきゃホームランにならない。」
と言っている。
今の野球は、動く球や多様な変化球、球場も広くなり、さらに継投で多くのピッチャーと対峙する。
ヒットの延長がホームランという考えだけでは、ホームランになりにくくなっている。
遠くに飛ばす技術を持ちながら、それを活用し、
ヒットの確率を高めていく発想は、大きな打者に成長する方法の一つと言えよう。