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野球をやりたくないのに野球選手になる人はいない

昨日からのつづきとなる。

ドラフトの選手は、未知の世界へ飛び込むことであり、不安と期待が入り混じる。

 

しかし、一般の多くの人が、

それまで学生などをしてきて、全く別の世界へ飛び込むのとはわけが違う。

 

小さい頃から続けて来て、

最も得意とする野球を続けるのだから不安の度合いは違う。という話をした。

 

たとえば、

医者を目指す人は、医学の大学へ進むに、理系を主に勉強し、大学から具体的な医学を学び、

実践を積んで業界へ進む。

官僚は、東大をはじめとする高学歴を踏み、

国家試験を通過したのち、国家公務員として登用される。

法曹界は、法務の勉強を重ね、難関試験を突破したのち、その世界へ飛び込む。

どれも、その業界に入る前に内情を知る行動をとり、勉強したことを武器にその世界で活躍する。

しかし、入る前に研鑽を重ねたこととその世界には違うことが多い。

 

野球の世界は、幼少期から重ねてきたこととプロの業界もルールが一緒だ。

マウンドからの距離も塁間の距離も変わらない。

投げる、打つ、捕る、走るという行為も全く、変わらない。

博士になる研究者に似ているかな。研究者も学生の頃の延長がつづくから。

 

ピッチャーで言えば

マウンドに立ってしまえば、幼少の頃から続けているピッチングをするということは同じことだ。

一般社会において、それまで学生として生活してきてから会社に入社したりして、

まったく慣れていないことをしなければいけないのとは違う。

 

ピッチングをするという今までと同じことをする。これは、楽なことだ。

マウンドに立ってしまえば、ピッチャーの本能が目覚める。

つまりは相手打者をやっつける本能が現れるのだ。

だからこの瞬間、高校とかプロとかの意識は一気に薄れる。

「喰ってやる」という闘争モードに切り替わる。

 

そんな今までの延長の世界でありながら、

選手がとまどう大きなことは何か。

そして、それの対処はどうしているのか。

明日へつづく。

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