甲子園というのはこういう話が尽きないというかドラマにしたがる。
たしかに昔の甲子園というのは、こういう場だった。
舞台をつくる側や観るファンが
野球という日本の第一スポーツを介して子供と大人の中間あたりの複雑な思春期真っ只中の高校生に、
団結した人間ドラマを期待した。
選手もその期待に応えることを嬉々とした。
甲子園に出たいというのは、甲子園で野球がしたいという意味ではない。
自分が高校野球をやるという選択したに大きく影響を及ぼした、あるいは、
野球を志すにいたる憧れた選手、戦いと同じ舞台に立ち、
日本の高校生世代の最高峰の相手と高度な野球を経験したいという意味だ。
【高校球児の選手生命を考える】高校野球界は本気でルール変更を考える時期なのだ。
高校野球は変わらない。
これまでも毎回大会が終わるたびに、
投げ過ぎだ。誤審だ。勝負しろ。高校生らしく。とか騒いできても変わらなかったのは、
大義名分が野球をやるためだけに存在しているわけではなく、教育の一環を標榜しているから。
そして、高校野球ファンも大きく変わることで感動、友情、家族愛、郷土愛が薄れることを
望んでいない。
今年、芦屋学園から山川がドラフト指名された。
この芦屋学園の取組みについては、だいぶ前のこの場でも触れた。
芦屋学園の取組みと高校野球だけじゃない選択を明日紹介する。