清原といえば、乱闘騒ぎという印象が多くある。
最近は、乱闘がめっきり減った。
理由は、
各選手が、チームを超えて交流があること、
トレード、FAが盛んなこと、
引退後の仕事を考慮すること、
などでもめ事を起こすことは控えるからだ。
実は、清原も手をあげたことはない。
平沼にバットを放って、ジャンピングニーをしたのが一度だけ。
殴ったことはない。
この平沼の時も、ぶつけられ、頭に血が上り、バットを放り投げ、向かってくる平沼に思わずというか、仕方なくジャンピングニーをした格好だ。
その後、一人になった清原は、両軍が飛び出してくるや、逃げ回ると
ロッテの外国人・ディアスに首根っこをつかまれ、つぶされた。
このディアスは、北米リーグのプレーヤーによる腕相撲大会のチャンピオンという肩書をもつほどの剛力だった。
乱闘になった際、殴るのは、いつも外国人プレーヤーであり、
このように間に入って、殴るのも外国人プレーヤーだ。
清原が乱闘のイメージが強いのは、風貌や発言、番長のニックネームと死球の多さからだ。
そしてテレビをはじめとするメディアがそのイメージを煽る。
清原は、ドアスイングのため、早めに打ちに行く。
ドアスイングとは、下半身と上半身と腕が一緒に動いてしまい、バットが遠回りすることをいう。
清原の場合は、一緒に動くというより腕の動きが大きく、ヘッドを下げ、下から打ちに行くため遠回りする。
バットが遠回りするということは、いわゆる自分の近くまで呼び込んで打つということができず、早い段階で球種、コースを判断しないとジャストミートできない。
つまり、スイングをかけるのが、ボールがピッチャー寄りにあるときで、
判断が早いということになる。
そのため、
まだ、自分の近くに来ていないのに打ちに行っている状態であるため
体に近い球が来ると、よけられないのだ。
バッティング技術の欠陥とよけ方の下手くそ、
長距離砲ゆえのインコース攻めの多さ、
により、死球が多かった。
その清原も死球を受けるとまず、
相手をにらみ、一喝する。
そして、足が速くないのでピッチャーへ向かうことをしない。
走って向かわなければ、次の瞬間には両軍から選手が飛び出し、
キャッチャー、主審が止めるので、この時点でもう殴ることはできない。
しかも、殴るということは、したくない、あるいは、できないので
一喝することで両軍選手が入り乱れるのを待っている意図もある。
そして、清原のこういうシーンが目立ったのも
年下の選手が多くなった巨人時代からで、
先輩ピッチャーにまで向かうことは、まずない。
平沼は先輩だが、当時のあまりの死球の多さについに頭に血が上り、やってしまった行動だ。
あの時も腕に当たり、よけた勢いで左手はバットを離した。右手はたまたま、まだバットを持っている状態だった。思わず、投げつけた。というものだった。
そもそも、死球でピッチャーに殴りかかることができるということは
たいしたダメージはないということだ。
まともに当たっていたら、痛くて、その場にうずくまり
反撃しようという気が起こらない。
清原が死球が多かった理由の一つにバッティング技術の欠陥と上述した。
これについて明日触れる。