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緊急特番 清原 KK伝説

先週から続けてきたプロの引き際。

その連載中に起こった甘利大臣の辞任。

そして、偉大なプロフェッショナルほど引き際を大事にすべし。

と記し、野球界のレジェンドについて触れてきた。

 

清原の惨事が飛び込んできた。

 

では、高校時代からスター街道を歩んできた清原について過去、

この場で記したことを振り返っておこう。

 

PL学園がセンセーショナルに登場した1983年の夏。

 

夏・春・夏の三季連続優勝という離れ業を狙う王者・池田に

主役交代を告げるため1年生エース・桑田と1年生4番・清原ののちのK・Kコンビが

いつの時代もスターを作り出してきた甲子園という脚本が見事なドラマを用意していた。

 

 

池田高校が主役に昇りつめたとき、

スター荒木を擁し、5季連続出場の早稲田実業を完膚なきまでに叩き潰したように

主役交代は新たな別の来歴のあるスターによりその座をとってかわり、ドラマとなっていくことになる。

 

 

私は小学生の時、常勝だった池田高校を応援していた。

 

 

PL学園が池田高校とぶつかった準決勝。

PLの評価は高くなく、池田高校有利の下馬評だったように思う。

 

なんといってもプロ注目のエース・水野がいるわけだからこの下馬評も当然だ。

 

 

しかしやまびこ打線のお株を奪う豪打で水野を粉砕。

桑田は1年生ながら水野からホームランまで打った。

1年生4番打者清原は3三振だったような。

 

 

池田高校を応援していた私は、

こんな知らない人に打ちこまれ、抑えられていくことにショックを受けた。

 

 

終盤7点差がついたときはルールのどっかに点が減る方法がないかとまで期待するほど

祈るような思いだった。

 

高校野球史上、最高のドラマを演じ、今なおこの余韻は高校野球人気を支えることになり、

夏がくーれば思い出す、PL学園とKK。

 

 

私もこのPL学園とKKコンビの登場に衝撃を受け、

このせいで、今も野球を続けているといっても過言ではない。

 

 

1年生コンビKKを擁し、83年の夏の大会を勝ち進み、

準決勝では、夏春夏の3連覇を目指す池田高校に完勝。

その勢いは衰えず、決勝では清原に甲子園初ホームランが飛び出し、優勝を手にする。

 

 

これによりPL学園の人気は沸騰し、以降KKが在学する間は、打倒PLが合言葉となる。

 

 

名門PLで1年生から4番として甲子園通算13ホームラン。

高校野球史上最高の打者だ。

 

 

ただ清原はもろい面も見せ、水野、渡辺の好投手からは連続三振を喫し、完全にやられている。

 

 

怪物なら、ここらへんからも打っておかなければいけなかった。

 

 

清原はプロに入ってからも右打ちを頻繁に見せていた。

この右打ちを習得したのはPL学園1年生の時、打撃練習でかっとばすと上級生からにらまれる。

そのため、飛ばない右へ打つことをしていたら右にもホームランが出るようになった。という話だ。

 

実際、清原の甲子園1号は、

夏の決勝、Y校戦(関東の人間には横浜商業はY校として昔から親しまれている。)で

ライトラッキーゾーンへ放っている。

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