清原の緊急特番を昨日から続ける。
1年生エースと4番を擁して全国制覇をしたPL学園は、全国の標的となる。
1年生の超高校級コンビという前代未聞の出来事にマスコミやファンは大いに夢を見て注目した。
以降、KKが卒業するまで5季連続甲子園出場をすることになる。
2年の春、マークに合いながら決勝まで駒を進めたPLは、岩倉高校と対戦することになる。
岩倉高校は東京の強豪校であり、私が高校時代、練習試合で1戦まみえた記憶がある。
試合内容もスコアも記憶にないが、勝ったという記憶だけ残っている。
その岩倉高校に桑田はスミ1で抑えながら完封をくらい、甲子園初黒星を喫することになった。
そして2年の夏も決勝まで駒を進めたPLは、またしても関東の強豪校・取手二高と対戦する。
取手二高の監督は言わずと知れた高校球界屈指の名将・木内監督。
この試合。
開始前から雨が降り、延期濃厚となり、PLは引き揚げようとしてた。
桑田は、着替え、戦闘モードを解いてしまったのだが、急遽決行となり、
気持ちの入れ替えが難しかった。
そして、ぬかるんだグラウンド、滑る手によりコントロールに苦しみ、桑田まさかの4失点。
劣勢のまま九回に追いつくPL。
この時、土壇場でホームランを放ったのがKKの一つ上で最上級生だった清水。
清水はこの後、大学野球でヘッドスライディングした際、
首を痛め、車いすでの生活を余儀なくされた記憶がある。
延長で桑田がホームランを打たれる。
桑田まさかの1試合8失点で2連覇の夢は消えた。
このとき桑田の後ろで守っていた清原は、
「桑田がホームランを打たれるなんて信じられなかった」
と語っている。
この時の取手二高はキャプテンがのちに近鉄に入団する吉田剛だった。
吉田は、桑田からホームランを打っている。
そしてこの時のエース石田が41歳で亡くなっているそうだ。
先日、亡くなった私と同い年の元阪神・安達も41歳で亡くなった。
現在、41歳で同じ野球人の私は、一瞬息をのんでしまう。
そしてついに最上級生になったKKは、春の選抜に当然のことながら出場してきた。
この大会が唯一決勝まで進めなかった大会となる。
それはあのピッチャーがいたからだ。
そう、
伊野商業・渡辺。
のちに清原とは西武でチームメートとなる渡辺は、
さほど強豪として知れているわけではない伊野商業を甲子園に導き、
準決勝で王者・PLと対戦し、見事なピッチングを披露し、全国にその名をとどろかせる。