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緊急特番 清原 珠玉のドラマ ドラフト

さあ、清原の人生に対して

今日に至るまで影響を及ぼしたに違いないドラフトについてだ。

 

 

ドラフトは、長くドラマや暗躍があり、そのたびに話題をつくったことで

ひとつの興業として野球人気に一役買う役割を果たしてきた。

 

 

その中でも最も運命を左右されたと言っていいKKコンビのドラフトドラマ。

 

 

それがどうして起こったかというと。

 

 

1年生エースと1年生4番として鮮烈なデビューを飾り、その後、名門・PL学園を

5季連続甲子園出場に導き、2度の全国制覇に

桑田甲子園20勝、清原甲子園13ホーマー。

高校野球史上最高の実績を残した2人。

 

 

2人とも1年生だったということがインパクトを大きくさせた。

 

 

桑田に至っては4月1日生まれなのであと1日誕生日が遅く

4月2日生まれだったら清原より1学年下ということになる。

 

 

それでも1年生で夏全国制覇をしたのだから

中学生が全国の高校生を破ったとも言えるのだ。

 

桑田の身体能力、運動神経、野球センスが特別だったことを物語っている。

 

 

そんな2人が最後の夏、見事に全国制覇をし、いよいよ進路に注目が集ることになった。

 

 

ちなみにこの全国制覇したメンバーから内匠、今久留主、松山がのちにプロ入りしており、

計5人がプロ入りしていることになる。

 

 

さらに2つ下として1年生だった立浪、野村、片岡、橋本がプロ入りしている。

 

 

このチームがどっちが強かったかという問いに片岡が(多分)

「1試合ならわからないが、3連戦なら私たち世代が勝ち越す。」

と清原に言ったそうだ。

 

 

当時、野村、橋本、岩崎というエース級3枚を擁していたのでこの発言になったのだろう。

 

 

桑田は早くから早大進学を表明。

清原は巨人入団を切望。

 

この図式が出発点であり、

この2人のそれぞれの意識が大きなドラマを生み出すことになるすべてと言っていい。

 

 

巨人は王監督をはじめ現場サイドでは清原の希望通り指名すると公言していた。

 

 

しかし、西武には当時、策士・根本がチームの改革に乗り出していた。

 

この根本が後世に語り継がれることとなるドラフトを演出し、最大のキーマンとなるのだ。

 

 

根本は改革にあたり

高校時代に投手として活躍していた秋山が、プロ拒否の姿勢を示していると

野手への転向を口実に口説き、ドラフト外で獲得した。

 

または甲子園でノーヒットノーランを達成し、ドラフトの目玉とみられていた工藤においては、

社会人に進むという本人の発言を受け、指名回避する他球団を尻目に

ドラフト6位という下位で強行指名。

 

断られるのを覚悟で下位指名したにもかかわらず、入団させることができる

おいしい獲得なんていうのも実現させた。

 

極めつけは、

熊本工業から伊東をわざわざ所沢に引っ越しさせて

1年間、職員として勤務させ、翌年のドラフトで指名し囲い込み獲得という荒業をやってみせた。

 

策士・根本は、今のソフトバンクの強さの礎も築いている。

 

その手腕を振り返っておくと巨人V9に遡る。

 

当時の巨人の9連覇は、

川上監督がドジャースの戦法を取り入れ、ONというスターの存在という幸運とともに達成された。

 

西武黄金時代は、その巨人V9に倣おうと

策士・根本が巨人の野球を取り入れるべく広岡、森を招聘し、

伊東、工藤を強引に入団させ、

秋山の成長、石毛、清原というアマチュアスターの幸運な獲得により達成された。

 

ソフトバンクもダイエー時代は低迷していた。

ここでも根本が巨人の象徴・王を招聘し、大改革により今の強さがある。

 

話を戻してKKのドラフトドラマについて。

 

これは、明日へしよう

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