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清原 スターと言ってもしょせん野球

6球団競合の末、清原を引き当てた西武はまさにチーム改革の時にスター候補が入団したことになる。

 

西武球団創設時を支えた野村、田渕、土井、山崎といったベテランが去り、

東尾を兄貴とし、石毛、工藤、渡辺、伊東、秋山といった

今の球界を支えることになる若手が台頭してくる。

 

これらの若手を広岡の「管理野球」が、奔放を許さず、チームは強くなっていく。

 

そこへ、清原が入団し、同じタイミングで土井が西武のコーチにいる。

 

土井自身のニックネーム

「18歳の4番打者」

の後継者となるには、これ以上ない素材・清原は、初ヒットがホームラン。

高卒ルーキー本塁打記録と長嶋のルーキー時の本塁打数である29を越え

ルーキー本塁打記録31に並ぶ。

 

見事に「18歳の4番打者」を実践してみせた。

しかし、これ以降、波の激しい清原の打撃は、毎年のようにスランプの時期が長かった。

 

ルーキー時の活躍に胡坐をかいたのかもしれない。

 

その頃の発言にそれを垣間見ることができる。

 

1年目のオープン戦では結果が出ない清原に

「プロの球は厳しいか」の問いに

「慣れれば打てますよ。」

これは、言った通り、結果で示した。

 

1年目のシーズン終了後、その時のスター・少年隊と対談した際、

「少年隊が紅白に出るのと(レコード大賞獲得だったかな?)

僕が三冠王をとるのとどっちが早いか」

これは、無冠の帝王。

 

そして、西鉄野武士軍団最後の戦士・東尾に影響され、野球以外の活動に精を出していったと聞く。

 

2年目以降、スランプを繰り返し、期待ほどの活躍をしたシーズンはなかったように思う。

 

 

それでも2000本のヒットを連ね、500本を超えるホームランを記録する。

 

通算安打数2122、本塁打数525本。

つまりヒットの4本に1本はホームランということになる。

 

野村は、同い年で清原西武時代の監督である森に清原を甘やかした森が悪い。

森ががちゃんと教育しなかったせい。と言っている。

 

清原は、子供の頃からずっとスターだったので他人を褒めるような発言を聞かなかったように思う。

 

プロで年齢を重ね、成績が芳しくなくなり、自信を失っている時期になってから

「桑田は心のエース」

とか

「立浪君はすばらしい選手」

など言いだしたように捉えている

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