昨日は乱闘の主役ではあったものの、殴ったことはない清原を記した。
清原はドラフトに翻弄され、1年目の超新星、その後没落を重ね、引退後は逮捕にも至った。
清原が桑田とともに登場した1983年の夏の主役は、夏・春・夏の三季連続優勝という偉業を狙う王者・池田だった。
この絶対王者・池田がいたということすら、清原と桑田をスターにするための布石とも思えてしまう程だ。
池田高校も主役に昇りつめたときは、その前に高校野球史上NO.1アイドルとえる荒木がいた。
5季連続出場の早稲田実業・荒木最後の夏に栄冠を手にしてほしいと願う多くのファンの前で、
池田は完膚なきまでに叩き潰した。
こうして主役交代を告げた池田に1年生エースと1年生4番打者という話題を引っ提げて
PL学園が主役交代の引導を渡すことになる。
この時、桑田は水野からホームラン。そして、やまびこ打線を完封する。
清原は4三振だった。
これ以降の2年間、高校野球はPLを中心に回ることになる。
その名門PLの中、1年生から4番として甲子園通算13ホームランという不滅の大記録で
高校野球史上最高の打者となる清原。
最後の夏、ひと大会5ホームランを記録するセンター方向への大ホームランを放った時は
朝日放送の有名実況「甲子園は清原のためにあるのか」とまで言わせた。
そして、清原の人生の大きなターニングポイントとなるのがドラフトだ。
ドラフトは毎年、人間ドラマを生み出す、それだけでひとつのコンテンツになるまでの興行となったが、
その中でも最大の人間ドラマとなった清原と桑田のドラフト。
このドラフトで清原が巨人入りしていたら、あるいは入団しないまでも、せめて指名さえしていれば、
のちの逮捕もなかったのではないかと思われてくるほどのものだ。
それがどうして起こったかというと。
明日へ。
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