高校生に億単位の金を用意して、来てもらおうとする産業など野球界くらいしか思いつかない。
高卒ドラフト1位を拒否して大学へ進む選手は、4月にプロを選んで入団した時と
大学に入学した時では実力は変わらないのに、かたや億の金を手にして、
かたやお金を払って野球をするという天と地の差になる。
それでも人生設計として大学を選ぶのは、人生は金ではないということ、
大学へは行きたいということ、あるいは大学野球を経験したいということ、
あるいは今、プロへ行くより大学で実力をつけた方がいいということ、
あるいは大学へ進んでからの方が結果的にはもっと多くの金を手にできるほどの実力を
身につけることができるということ、などの理由だろう。
ただ、その億の金も本人が自由に使えるわけではない。
むしろ本人の手にはほとんど残らないと聞く。
育ててくれた関係機関、特に高校や大学へ渡り、親へのお返し、地元への寄付、といったところになる。
つまり契約金は選手としての価値とともに、選手育成のための資金なのだ。
これからも有望な若者を育てて下さい、というプロからのメッセージであり、プロは
教育機関や地元のチームに育成を委ねるかわりに資金を提供する。
それが契約金という名目なのだ。
それによってまたプロに入ってくる人材を育成するという仕組みに日本はなっている。
選手の価値は入ってからの年俸がそれになる。
グラウンドには金が落ちている、という有名なことばあるが、プロ野球選手になるときのお金=契約金よりも、
自分の実力でグラウンドに落ちている金を拾い上げ、長者となっていくのがプロの姿だ。
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