寒風とともに戦力外通告が吹き荒れる時期となった。
引退を決断する選手の中にも、これまでの貢献や人気により、実は戦力外なのだが
体裁を優先して自ら身を退く形にする者もいる。
運よく現役を続けられたとしても1年がいいところなので
その前に引退し、自身の経歴を汚さない、またはその後の人生のステップに有利となるようそう判断するわけだ。
今年は福留が引退した。
福留は高校生の時に7球団が競合する超目玉だったが、近鉄が引き当てたため入団を拒否、
社会人野球を選択した。
この時の引き当てた近鉄監督の佐々木は「よっしゃー!」と声を上げた。
競合した場合、抽選に登場するのは監督が多い。
現場の最高責任者で、世間の認知度が高いことから当然ではあるのだが、
佐々木のように引き当てれば大喜び、外せばガッカリはパフォーマンスか。
監督は球団に雇われている身分だ。
数年の契約期間であり、単年の場合もある。
どんなにいい選手でも高校生なんて戦力になるのは先のこと。
やっと戦力になった時に監督としてその選手を使える立場にいるケースは少ないと思える。
監督がその球団で育った人だったり、生え抜きの人だったりすれば自分が監督を退いた後も
愛着のある球団に良い選手が来てうれしい、という気持ちにはなるかもしれない。
引き抜かれた雇われ監督が、自分が監督でいる間に使う可能性の低い高校生を引き当てたところで、
そんなにうれしいものなのだろうか。
高校生は青田買いの意味合いが強い。
ドラフト1位の選手だってどうなるかわからない。
江川、清原、松井、福留、松坂、ダルビッシュ、大谷、佐々木クラスになれば
リスクを負ってでも指名に動くが、高校生の場合、ドラフト1位選手ですら将来性を買うわけで
即戦力とはみなしていない。
順調に育ってくれれば将来、チームの柱になってくれるだろうが、
それすらわからないのだ。
高卒ドラフト1位で思う通りの活躍ができなかった選手はいくらでもいる。
そう考えると、ドラフト高卒選手を引き当てての監督ガッツポーズは違う意味も見えてくる。
一つは身内の努力に報いた安堵だ。
明日へ続けよう。