幼少の頃より野球を志した人間がプロになれるチャンスがあるのに、それを逃す選択はまずしない。
ちなみに杉浦はドラフト1位の実力があったが、当時アマチュア最強だったキューバに
勝つためにオリンピックにこだわった。
今はプロがオリンピックに出られるので、今の時代なら杉浦はプロを選択していただろう。
プロが出られると言うより、オールプロで戦う。
だから今の時代がうらやましいだろう。
いや、プロがオリンピックに出られるのなら、杉浦も打倒キューバこだわらなかったはずだ。
オールプロでアマチュアキューバを倒しに行っても高揚はないからだ。
だから、打倒キューバやオリンピックから目標はプロでの活躍になっただろう。
さて、栗山の出世の話に戻す。
先生になるために入った大学で野球の力がついてしまった栗山は野球での立身を志すに至り、
プロテストを受け、ヤクルト入団を果たす。
俊足を生かした外野守備と走塁、そしてスイッチヒッターとしてレギュラーにまでなった。
創価高校ではエースだったのだから肩もあったはず。
しかし、レギュラー期間はそう長くなく、若くして引退している。
ところが、ここからが栗山の稀有な野球人生だ。
現役期間が短かったにもかかわらず、国立大学へ進学した頭脳を活かし、タレント解説者として
異彩を放ち、売れっ子となる。
野球選手には珍しい理路整然とした喋り口調は重宝された。
野村には「結果論を語らせたらピカ一」と皮肉を言われていた。
その後は、胸の中にいつもふつふつとあった教壇に立つという若い頃の希望の機会も得た。
すると日ハム監督に就任。しかも10年もの長い間、務めた。
何と言っても大谷との出会いだ。
大谷の海外志向を翻意させる、ピッチャーと打者の兼任というウルトラCを考え出す。
そしてついには大谷を世界のスターに育てた監督として、その発想と育成に白羽の矢がたち
今や全日本の監督にまで上り詰めた。
栗山の大きな仕事は大谷をWBCに呼ぶということとされている。
大きな経済効果が見込める大谷参加を実現させるのに、もっとも有効な手立てが栗山を
監督にするということだった。