土浦日大・小菅監督は取手二高が優勝した時の三塁手だった。
1984年の出来事で39年前となる。
決勝は前年1983年に1年生ピッチャーと1年生4番打者というセンセーショナルな登場により
一気に頂点に駆け上がったPLとの一戦だ。
この決勝、雨で順延が告げられ戦闘モードを解いたところ急遽やる、と変更したたことで
桑田は調子を狂わせたとされる。
9回1点ビハインドの王者・PLは清水のホームランで延長へ持ち込む。
この清水はその後、大学で二塁へのヘッドスライディングで首に大けがを負い、その後車いすでの生活を余儀なくされている。
延長に持ち込んだものの桑田がホームランを打たれ、4点差となり勝負は決した。
清原は「桑田が2本もホームランを打たれるなんて信じられなかった」
取手二高は茨城の公立校だ。
野球部はヤンチャな人間がおり、試合中はのびのびとやる雰囲気。
この野球部にどうして勝てなかったのか、その真意を知りたい桑田は大会終了後、
わざわざ茨城まで出向き、練習を見学した。
高校生一人の行動としては真面目というか、破天荒というか、桑田ならではだ。
この時仲良くなったエース・石田はその後プロ入りしたが、41歳で早世している。
この時の一戦が8月21日だった。
土浦日大と慶応の一戦も8月21日だった。
取手二高で優勝した土浦日大の小菅監督は39年後の同じ日、清原の息子がいる慶応を
相手に今度は仕返しを食らった形になった。
39年前の決勝が順延されていたら同日での因縁もなかった。