池江璃花子から白血病という報せが届いてしまった。
今は治療に専念して、というコメントを耳にするのだが、
もちろん、病気の克服、健康に戻ることが優先されるのだが、
トップアスリートである彼女の気持ちは、そこを目指してがんばるというものでなく、
なんとか泳げる体を、それも元のアスリートとしての体を、という気持ちが今は強いだろう。
明確な目標を間近に控え、青天の霹靂に悔しさや焦りを察するにはあまりある。
才能のある人ほど、その落胆は大きくなるだろう。
病気の克服を願うのは当然なのだが、
彼女の気持ちを推し量ると病気を克服しても大きな壁が立ちはだかる。
その壁とは3つある。
1つは彼女にとっては病気を治すだけに留まらないということだ。
世界のトップに位置する彼女は、治すだけでなく、世界と伍して戦うまでの体に
したいと願っているだろうということ。
それには病気を克服し、体力を元に戻し、さらに今より高い訓練をしたい。
健康体で高い練習をこなして、精神も体も充実してこそ世界と対等に戦うことができる。
そこに至るまでになれるのだろうか。
病状がどのようなものだかわからないが、ただ病気を克服するだけでさえ大変なのに
世界トップレベルの実力に戻すことは難しいという感想を持たざるを得ない。
治療・休養に専念していたら戻ることは厳しい。
だから体に負担を課しても実力維持の方法を模索しそうだ。
2つ目としてさらに彼女の前に立ちはだかるのが、大目標としているであろう東京オリンピック
までの時間が短いということ。
せっかく年齢としていい時期に迎えられると思われる東京オリンピックを来年に控えてしまった。
いい時期に母国で迎えられるという強運だった東京オリンピックのはずが
これで逆に不運に転じてしまう。
たとえ次のオリンピックでもと考えても、
今度はそうするとアスリートとしてのピークを越えてしまう可能性が高い。
これがアマチュアスポーツ界の厳しさ。
最も光が当たる舞台が4年に1度しかないので、少しの調整や体調のズレ、ケガと訓練不足が
4年という長い間隙を生む。
3つ目に関しては明日にしよう。
年頃の女の子である池江はアスリートの体としてかわいい服が着られないことを残念がっていた。
水泳は丸みのある体が必要であり、筋骨隆々だと水に浮きにくい。
そして肩幅が広くなる。
女の子としては嫌がる体型だろう。
彼女のお母さんはタイムが下がることとかわいい服が着られないことどっちをとるの、と叱咤し、
アスリートとして池江は意を決したという微笑ましいエピソードを記憶している。
かわいい服を着るという、女の子なら当然の欲求を捨て、
アスリートとしてのギリギリの勝負での試練を選択した彼女に、
次は病気というさらに大きな試練までが与えられてしまった。
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