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イチローの盗塁は自分のためか。

こんな記事を目にした。

 

「イチローの盗塁哲学とは?通算500盗塁、成功率84.1%の理由」

 

この記事にある「行かない勇気」や「成功確率の高い行けるタイミング」というのは

足を武器にしている選手なら誰でも持っている。

この記事の内容をそのまま受け取り

こういう言われ方をされるといかにも崇高なプレーのように聞こえるが、

場面によっては成功確率50パーセントの感覚でも

チームとしてはリスクをかけて行った方がいい場面がある。

 

なぜなら野球は失敗を誘いあうスポーツだからだ。

むしろ50パーセントもあるなら行くべき状況がある。

50パーセントなら相手が失敗する可能性が

50パーセントもあるということだ。

 

この記事の中でも、リスクをかけて行く場面がある。という内容の書き方はしているが。

 

イチローが数年前、盗塁連続成功記録を続けていた時、

途絶えたのはエンドランの時だった。

イチローの記録更新がかかっていながら、とるべき戦略をエンドランとしたチームのおかげで

その前から「嫌な予感」がしていたイチローは、そのサインのとおり走り、刺された。

 

エンドランは打者がバットに何が何でも当てなければいけない。

打者にそれができない可能性があるとイチローは「嫌な予感」がしたわけだ。

盗塁の成功確率は低いと思っていたイチローもエンドランでは走らなければいけない。

「嫌な予感」は的中し、打者はバットに当てられず、イチローは刺され、記録は途絶えた。

記録が続いていたイチローも自己の力でないところに

つまり、ベンチの意向とチームメート打者の技術に託すことになってしまった。

しかし、野球はチームプレーであるので個人の記録よりチームが優先される。

そして、個人のためにチームのとる戦略が狭められてはいけない。

また、同時にチームの特性を生かしことが、この場合はエンドランだった。

つまり、足のあるイチローがランナーで、チャンスを広げるべき場面だったからエンドランだ。

チームの特性を最大にするためにイチローの記録が途絶えようが、どうでもいい話だ。

ただ、

この時は3点ビハインドであり、エンドランが得策でないと思っていたイチローは、

「嫌な予感」がした。

 

こういうプレーで印象に残るのは

巨人と西武の日本シリーズで1点ビハインドの西武が

終盤で1番・片岡からはじまる打順の場面。

 

片岡は死球で出塁し、つづく2番打者の初球に走ってきた。

1点を取るため、日本一を勝ち取るため、

リスクを承知で、膠着状態を打ち破りに、初球で走ってきた。

強引に成功させた片岡はバントで三進した後、中島のサードゴロで本塁突入、1点をもぎ取った。

片岡一人でもぎ取った1点。

すばらしいプレーだった。これぞ野球だ。

リスクを承知でも敢行するプレーがあり、状況によって、プレーを選択するのだ。

 

盗塁は走るだけ。

タイミングが合わなきゃ行かなきゃいいし、

塁間で転ぶプロはいないし、スライディングの失敗などまずない。

一方、阻止する側は刺すための工程が多い。

 

イチローの言っているのは保守的な発言でチームを勝利から遠ざける意識ととらえることもできる。

成功しようが失敗しようがチームが負けたら意味がない。

個人の満足、栄誉のために行かないだけと捉えることができる発言だ。

行かないでランナーとして生き残ってもチームが負けたら意味がない。

 

もちろん50パーセントの成功確率しかない感覚では行ってはだめという場面も多い。

「行かない勇気」と成功確率を崇高な盗塁術ととらえていては、

絶対命題であるチームの勝利を遠ざけかねない。

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