追い込まれたらきわどい球は手を出せ、カットしろ、というのは間違いだと昨日記した。
ボールだと思ったなら、きわどくてもカットはしなくていい。
一瞬でそこまで判断しなくていいのだ。
ボールだと思ったら見送ればいい。
そこでストライクと言われたら仕方がない。
だってボールなんだろ。
ボールをストライクと言われたらそれは仕方がなく、審判の技量に合わせる必要はない。
ストライクなのにボールだと思ったのなら技術を鍛えることになる。
その時点でストライクなのにボールと思う技量しか持ち合わせていないのなら、
そこでは負けを受け入れ、反省し、克服するための鍛錬へと移ることになる。
カットはストライクと思っているけどヒットにできないと判断した時に使う技だ。
打たせようとするフリーバッティングでも10割の好打はできない。
甘い球、狙った球をしっかり仕留めることがバッティングの極意だからだ。
崩されながらボール球を拾ってヒットにすると、うまい、技あり、と言い出すが、
振っちゃいけない球を振っているのだから本当はうまくないのだ。
見送ることこそ、本当の技術でありうまいのだ。
うまいのは止まること。止まる技術を持っていることがうまい。
ボール球を振ってもほとんどが成功しない。
その拾ってのヒットなど、たまたま成功しただけをとってうまい、と言っている。
特に好打者と言われる、打率の高い打者がやると、彼らしいバッティングと表現してしまい、
いかにも、その打者の持てる技と思いがちだが、成功した時だけが印象に残っているだけで
その成功確率は低い。
だから、その成功体験に酔わず見送る技術を磨いた方がいいのだ。
ボール球をヒットにしても褒められることではなく、見送ってこそナイスバッティングなのだ。
その成功体験をもう一度とこれからも振っていたらその球をヒットにする確率など10回に一度程度だろう。
崩されても肩が開かなければ、とかヘッドが残っていれば拾える、とか言うプロが多いが、
拾わなくていい。
止まることの方がはるかに大事。
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