何もしないでの成功は教訓にならないから、努力しないような奴でも実際にはしていた、
というところを探したがる。
もとより何もしないでできる奴などいない。
門田はテレビ番組で脚を生かす打者を選択した栗山に、ホームランをあきらめた、言ったとされる。
朝3時までバットを振ることがザラにあるほど振り込んだ、
そうすることで見えてくるものがある、そしてホームランは打てるようになる、のだそうだ。
ホームランを打つことだけが選手に求められているわけではない。
脚を生かした栗山の選択だって正解だ。
何も否定されることではない。ホームラン打者が9人いれば勝てるわけではない。
素振りをすれば、そして練習すれば大打者になれるのなら誰でもなれることになる。
素振りをすれば大打者になれるわけではなく、それでは足りない。
プロは人数が決まっており、ベンチ入りも、ポジションも限りがある。
誰もが同じだけ振ってもふるい落とされる人間が必ず出る。
それでも足りないとなって素振りの数だけ、練習量だけ競ったら、
ずっとやっていなければならないことになる。
バットが手から離れなくなるほど若いころは振り込んだという落合。
現役晩年から監督時代、テレビ解説者時代と一貫して自分の若い頃は練習した、と
若い世代と比較していた落合も、ヒットを打てることをコーチが保証してくれるのなら
いくらでもバットを振る、と、かつて言っていた。
振っても無駄ということではない。
それだけでは不十分だし、そればかりが正解じゃないし、そればかりだと逆に
成長をついばみかねない、ということだ。
また、つづく。