ピッチャーは球威をつけるには体の大きさがものを言う。
体の大きさとは身長、体重、筋肉といったところ。
大きくなればそれだけ球威が必ず増すというわけではないが、
小さい体で力のある球を投げるには限界を感じる。
小学生、中学生、高校生、と体の成長とともに球威は増すし、成熟したプロであっても
筋肉や体重を増やすことで球威が増す。
ダルビッシュはこれを選択したのだろう。
この場合、脂肪が伴ってしまうことも厭わない。
バランスをとって、どの体がいいかを選択した結果だ。
イチローの場合は野手であり、走攻守において高いパフォーマンスが価値の選手だ。
このタイプが体を大きくして、鈍くなってしまっては価値を落とす。
海を渡った時、パワーで圧倒する選手たちに対抗するために体を大きくしたものの
自分のパフォーマンスを落とすことに気づいたイチローは元に戻した。
さらに、MLBの舞台で活躍するために体を大きくするという必要性はない、と感じたそうだ。
力負けしない身体を手に入れなければ対抗できないというわけではないということ。
とは言え、イチローも日本では一般人よりは大きい。
野球選手は日本の一般人よりはでかい。
身長が低くとも、下半身ががっちりしていたり、筋肉が優れていたり、身体全体ががっちりしていたりするものだ。
それは振るための身体、投げるための身体が必要だからだ。
そして守るための瞬発力を生み出す脚、ベースランニングを巧みにこなすための脚が
そういった身体がないとできないからだ。
まずは、それらの身体の強さがあって、はじめて野球選手としての第一歩となる。
だから素人が野球選手に打ち方を習ったり、投げ方を習ったりしても
まずは振る身体にしてから投げられる身体にしてからにしてください、ということになる。
日本では走ることは偉いこと、という意識があり、ランニング至上主義とも言えるほどであった野球界。
日本には楽をすることは悪、つらいことを克服することは善とされる意識がある。
だから苦行である走るということを課すこと、そしてそれをこなすことは善であり、
乗り越えた先にこそ栄光が待っていると思われている。
罰走ということばがあり、罰であるからこのつらいことを持って反省しろ、という意味となる。
走ることを罰として肉体に苦痛を与えると反省が促され、事は好転するという意味なのだろう。
大人のプロ野球選手にどこまで効果があるものなのだろう。
ランニングを罰として用意したのなら、それが過度な肉体疲労を伴うということになる。
必要であるなら罰でなく、普通に練習の一環としてやればいいだけなのに
罰ということは過度のトレーニングということになる。
ということは、これによりケガにつながり、敗けたことを反省させるはずが、さらに敗けに近づく、
戦力の削ぎ落しということにつながる。
過度なトレーニングなら回避すべきだし、必要な練習なら罰ではなく、やらなければいけないこと。
どっちにしても罰としての意味がないということになる。
走り込みを否定するダルビッシュは大前提として走ることを苦手にしているということがあろう。
子供の頃、動き回りたがるのは小さいので移動に苦労しないから。
大人になると、体の大きさにより動くに億劫になる。
体がでかいダルビッシュにとって長い距離を走ることが得意と言うことはない。
筋トレや栄養と増強食の摂取でデカイ身体にすることを選択し、これにより質の高い
球を手に入れられると判断した。
それなのに走ることは身体をしぼませてしまい、逆効果だと判断した。
そして、あれだけ大きい身体を移動させると、消耗度は大きく、しかもそれを長い時間かけて
行うと苦しさが続く。
走ることを回避して質の高い球を手に入れる方法を知ったため、嫌な事を徹底的に
否定する根拠を持つことができた。
走って得られることと、走らずとも得られることと、走ることでは得られないことと、
走ることで失うこと、とあるということなのだろう。
体が大きい野球選手は長い距離を走ることを最も嫌うという場合は多い。
野球界のスター・大谷もソフトボール界のスター・上野も走ることは大嫌いと言い、
スピードスターの松井稼頭央も長距離になるととても遅いタイムになる。
だから、いやなことをせずとも同じ効果を得る方法は何かを考えたのだろう。
または、必要な肉体や技術を他の方法で代替するということなのだろう。
それも長い時間を要しなければならないランニングという方法ではなく、効率良く獲得する方法を、だ。
ただ、身体をたくましくしようと成長期に筋トレをすることがいいとは思えない。
筋トレにより横に大きくするのは、いくら歳をとっても成長させることができる。
身長の成長が止まってから筋トレをすれば十分だろう。
スクワット1000回し、毎日ウェイトトレするよりどんぶりめし3杯を1日に何回も食べるなど、
食事の工夫をすることの方が球を速くするのに、打球を遠くに飛ばすのに、技術を高めるのに有効だ。
野球選手が体をでかくし、長距離に適しないのはその競技に合わせた結果だ。
もしくは、その競技の特性がそういう人間を欲している。
その競技のルールが体型、体質、を決めるということだ。
長距離を走り、息も絶え絶え、たいして速くも走っていないのに倒れこんでしまうのは
筋肉の質なので、だらしないとか能力がないとかいうものじゃない。
男が女に、女が男になれないようなもので、もう無理なのだ。
体の特性がそれぞれ違うということ、そのかわり、瞬発的に大きな力を出す能力は高い。
走って得られることと、走らずとも得られることと、走ることでは得られないことと、
走ることで失うこと、とありながらも、走ることが全く意味ないわけではない。
そして、走ることで得られる感覚もあるだろう。
走ることがいいと考える選手はそれを実践してもいいわけだ。
目的はアウトを獲る球を投げる、また、試合に勝つ投球をする、ということだから、
それに合うトレーニングを発見しているならば、それをすればいい。
ランニングは時間がかかり、効果は少ないかもしれない。
そして、ランニングが苦手な人にとっては、失うものが大きいリスクがある可能性がある。
必要と思ったらやればいいし、代替が効いたり、もっと効率がいいやり方が合ったりするならそれでいいし、
効果がないわけではないのだからやるべき分をやればいい。
走り込みによりピッチング能力が上がると実感している人も多くいるのだから。