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一瞬で判断する野球というスポーツ 坂本の走塁 大川小津波訴訟 今週の出来事

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好走塁と暴走は紙一重でなく、差が大きい

昨日の巨人―ヤクルトの5回、ヒットの坂本を1塁に置いて、吉川が送りバントというシーン。

前に出て来たサードが捕り、1塁へ送球アウト。

ここで3塁ベースカバーがいなくなった。

入るべきはピッチャーなのだが、ブキャナンがベースカバーを怠った。

これを見た坂本が3塁を狙った。

1塁ベースカバーでボールを持った山田は投げられず、間ができた。

ブキャナンがやっとサードベースへ着こうかという時に送球した。

ヘッドスライディングする坂本と走りながら送球を受け取って倒れこみながらタッチに行くブキャナン。

判定はセーフだが、ヤクルトベンチがリクエストし、アウトへと覆った。

2点差でリードする5回という状況、味方と相手のピッチャーの出来、ブルペン陣の比較などで

思い切った走塁をすべきかを選択する。

この状況での坂本の選択はOKだ。暴走ではなく、アグレッシブという評価ができる。

ベースが空いているのを見て、咄嗟に走ったのだ。

これが、2点差以上で負けていたりしたら暴走になる。

勝負に行く場面はどこなのか、冷静かつ熱く、一瞬で判断する野球というスポーツ。

 

大川小津波訴訟

学校と先生を断罪だそうだ。

一番取りざたされているのは、山へと逃げた生徒を連れ戻した結果、

死んだしまったということのようだ。

先生は、山へ生徒だけで逃げたことで管理下におけず、行方不明になったらと考えたかもしれない。

それなら、むしろ冷静な判断だったと言える。

そして、先生も多くが亡くなっている。

命の危機にさらされている状況なら子供を見捨てて、逃げることも人間なら厭わない。

人道から断罪として糾弾するのだが、その状況でその勇気を本当に持てるのか。

実際、頑張った先生たちは命を落としている。

そして、何よりも先生たちは人命救助や避難誘導のプロではないということ。

その訓練は多少受けており、津波の心配があるこの地域なら、常に頭にあることかもしれない。

だが、それでも先生は学校の、いわゆる勉強を教えるという立場だ。

今は、教育という立場ではなく、勉強の補助役ともなってしまった存在だ。

教師は、いじめ問題解決、災害避難誘導、部活動の顧問などと専門外の仕事が多い。

もともと教師になる際、求められている能力は勉強についてのはずが、

現場に出たとたん、これらの仕事を押し付けられる。

教育者という肩書だけで聖職とされ、

数十人、数百人の個性を適正に伸ばし、命を守るなど責任が大きすぎる。

学校という仕組みをとり、同じ場所に集めていっぺんに学問を提供するシステムである以上、

このような惨事は免れ得ないと心することだ。

責任は先生にあるのではなく、学校という仕組みをとらざるを得ない現状の方にある。

昔のある学園ドラマで高田純二扮する教師が

教師はやることが多い。そのくせ給料は少ない。割に合わない仕事」と言っていたのが今でも印象深い。

教師も人間。聖者でなければ、スーパーマンでもない。

学校の役割は子供に多彩な人格に触れる機会が与えられることと思う。

これは友達をつくるということではない。多彩な人格に触れ、カルチャーショックを受けることだ。

それから

自然の理の基礎(国語、算数、科学)を知り、興味をもって知の欲求のきっかけとなることと思う。

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