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スポーツでは❝世界に通用する❞は褒め言葉 文化にとっては凡庸なと蔑み

先日、「このロックグループは世界に通用する」という言い方を聞いた。

褒め言葉のように聞こえるが、文化についてこれが褒め言葉になるか。

 

スポーツの場合は、世界に通用する。は褒め言葉になる。

それは勝敗を決めるから。

日本サッカーはW杯ベスト16も突破できていない。

明らかに南米やヨーロッパの実力が上だからだ。だから、南米やヨーロッパで活躍できる選手は

世界で通用するプレーヤーとして賞賛される。

野球だってMLBに所属する選手の多くが日本人プレーヤーより優れている。

MLB所属の選手が日本でいくらでもプレーしていいとして、大挙NPBに所属したら

各チームその選手たちに席巻され、チームはその選手たちで構成されることになる。

逆に、今NPB所属の選手がMLBへ行っても使われる選手は皆無となる。

そもそも、大金が用意されるMLBから招待を受けないことがそれを物語る。

だからMLB所属選手が優れていると判断していいことになる。

勝敗とは優劣であり、勝者には常に栄光がさす。

 

しかし、文化にこれが言えるか。

日本のロックスターで世界にも通用するということは、

見方を変えれば、世界中の異文化の人達誰にでも受け入れられる凡庸な音楽ともとれる。

 

ロックとは主張であり、異質を放つものの事を云う。

そういうことからしたら世界中で受け入れられるというのはむしろ、意味のない音楽であり、

コアに受け入れられる方が賞賛に値する。

 

ノーベル文学賞というものに価値を見出せないのも同じことだ。

文学は感性にうったえる分野だから、読み手の生き方や文化、時代、感受性によって

琴線に触れる部分は違う。

感性が優れていると思われる人達に一様にいいと感じるものが、優れた文章ということはあろうが、

世界中のどの人達にも愛される文学などがあったら、それが直ちに優れていることにはならない。

少数に愛される文学が優れていないということにもならない。

 

絵画だってそう。

ほとんどの人は、違いや良さがわからない。

 

そして、音楽や文学、芸術、発見といったものがその時代では注目されず、

後年において脚光を浴びることは多い。

 

文化は異端なものがいい。その時には気づかれなくても、後世になり時代が変わると

その文化の偉大さに気づき、尊敬を集めたりする。

世界に通用する文化を作り上げるのではく、生まれた文化に人が寄ってくるもの。

むしろ、世界に通用しているようじゃ価値がない。

プレスリーもビートルズも大人はこんなのダメと最初は言っていた。

 

文化で世界に通用するは褒め言葉でない。

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