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間違った認識で良しとされるⅢ

先週、

よく耳にする全員野球について、公立校がこの言葉を使うとき、全員に平等の練習を課し、

ベンチに入らない人間も含めてやる野球という意味で使っている場合の全員野球は

やり方として、これでは強くならないと断言してみせた。

 

そして

先日のW杯でのアルゼンチンを引き合いに出してみた。

 

アルゼンチンはメッシを生かすために、

チームの弱点となるスペースやディフェンスに力を発揮できる選手を置いたり、

メッシと息があう選手を置いたり、陣形も合わせる。

 

一見、個を大事にしているかのようだが、チームの力を最大にする作戦であり、

全員サッカーと言える。

 

そして

東海大学柔道部を引き合いに出してみよう。

 

学生柔道大会で7連覇を目指す東海大学柔道部の

大会出場メンバーに選ばれなかったメンバーはサポートに回る。

 

試合に出ないメンバーにまで同じように練習をさせていたらチームが強くならないからだ。

 

レギュラーメンバーに集中して練習してもらうことで実力を伸ばすと同時に、

サポートしてくれるメンバーの分もやってやろうという意識が芽生え、

チームのために戦う意識が芽生えるのだ。

 

サポートメンバーも練習をするより、

レギュラーメンバーに思いを託し、勝つことの方がよっぽどうれしいはずだ。

 

勝負は勝つためにやることが大前提だから。

 

目的はチームを強くすることであり、勝つことにある。

勝つより優先されるものはないと言ってもいい。

 

全員に平等の練習を課していたら連覇はなかっただろう。

 

しかし

機会の平等は与えられているかもしれない。

 

東海大学柔道部の看板を背負うことは許され、練習場の出入りも許され、近くには実力者がいる。

 

その中で自分のできること、自分がやるべきことを見出せばいい。

 

分相応に自分を磨き、目標を見いだせれば、

レギュラーでなくとも、試合に出なくとも、意味はあるのだ。

 

そしてチームの勝利こそが個人においても最高の結果なのだ。

 

次は身近な社会を引き合いに出してみよう。

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