昨日に引き続き誤認されている全員野球について。
だれにでも平等に練習を課し、時間や場所、道具を全員で共有する野球を
全員野球と思っていると強くならないと言い続けている。
前回は身近な社会を引き合いに出してみた。
それでは核心となる高校野球でみてみると
大府高校と中京高校という愛知の名門は
毎年、夏の予選前、ベンチ入りができなかった3年生同士が試合を行うそうだ。
予選の
ベンチ入りメンバーが発表されるとベンチ入りを逃した選手は引退を告げられる。
これ以降はグラウンドでの練習は許されず、
ベンチ入りメンバーの練習のサポートに回り、自分の練習をすることはない。
これらの外れた選手は不要かといえばそうではない。
彼らがレギュラーメンバーのサポートに回ることにより充実した練習ができ
チーム力は上がるわけだ。これも全員野球といえる。
ベンチ入リから外れたメンバーは引退試合がはなむけとして
用意されている。
この時ばかりは
レギュラーメンバーが応援に回り、スタンドで声援を送る。
そして両校引退メンバーによる真剣勝負が行われ、試合終了後は
これで引退となるメンバ-は涙を流し、それをレギュラーメンバーは抱きかかえ
ともに泣き、これからはじまる夏の予選に引退メンバーの分まで全力で戦
うことを誓い引退メンバーも全力でサポートすることを誓う。
これによりチームの意思は一方向を示し、 色んな人の思いを背負い、
戦う意識が芽生え、力になっていく。
世の中は平等にできていないものだ。
能力や制限があるため、平等でない方が効率よく、
その方が結果、より喜びが多くの人にもたらされると考えられているから。
野球において考えれば
実力のあるやつ、若い奴を伸ばした方が良いという考えに至る。
それにより勝つ確率が高くなり、勝つことこそ最高の喜びになるのだ。
全員に同じ練習を課し、
時間、場所、道具を共有していては可能性のある人間の成長を阻害しかねない。