野球は失敗のスポーツとよくいわれる。
というより、
スポーツの、特に1対1あるいはチーム対チームの対戦型競技は、
みな失敗を競い合う。
ミスを少なくした、あるいは大きなミスをしない方が勝つわけだ。
ということは、
「今までがんばってきたことを出し切りたい」
「誰よりも練習してきた。自信があるから勝てる」
「自分たちの野球をする」
「練習はうそをつかない」
などとよく聞くが、こういう心持ちは間違いとなる。
特に、高校生活の間だけという期間が定められ、
一発勝負で数度の大会しか用意されていない高校スポーツでは
今までの成果を思い切って出す場ではなく、
自分の未熟さを露呈する場、失敗を発表する場だ。
失敗発表会といえる。
たとえば、バッティング。
3割をひとつの目安とされ、好打者の線引きがされており、
7割失敗しても優秀とされている。
失敗が前提とされているわけだ。
にもかかわらず、
毎回、その打席で結果をだそうとし、
また、結果が出るものと信じて、ヒットを打とうとする。
非効率、不合理だ。
うまくいった打ち方も、
こういう打ち方をすれば、うまくいく打ち方というわけではない。
たまたま、100回に1回うまくいく打ち方が現出しただけ。
それも、その打ち方で打てる球が来てくれたからうまく行っただけ。
しかも、その打ち方をもう一度やるのは、大変難しく、
二度はできないかもしれない。
あるいは、
本来は失敗の打ち方かもしれないのに、うまくいってしまったがために
それを、この打ち方は、うまくいく打ち方と勘違いして
その一回の成功に陶酔してしまい、ずっとその幻影を追い続ける。
その打席は
「成功の打ち方をした」のではなく、
その打席に限り
「失敗しないことがあった打ち方」
と解釈できる。
このように保守的に捉えた方が、失敗確率を下げて行けるのでは。
また、つづける。