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開幕3連戦ホームランなしのパ・リーグ

パ・リーグは開幕3連戦が終わりホームランがないそうだ。

 

ドーム開催がなかったことも原因にあるか。西武はドームとはいえ空いている。

 

ホームランが出ないからと言って野球はつまらくはならない。

 

むしろ、空中戦より1点をとるために技術と戦術を駆使している方がはるかにおもしろい。

パワーにモノを言わせ、振り回し、当たればホームラン。当たらなければ三振の野球が一番つまらない。

 

ホームランは華ではない。

 

野球は、塁を奪うか阻止するか。いかにホームベースを奪い、今度は、ホームベースを死守する。その繰り返しだ。

 

ホームランはその中のひとつの方法に過ぎない。

 

ホームランは半分以上はバッテリーのミスだ。

ホームランになるような球を投げるから打たれる。

 

抑える方法の一つに打者の体の近くに投げてびびらせる方法がある。

ストライクだけでは何度も対戦するプロでは抑えられない。

 

何度も対戦してホームランを年に数十本も毎年打っている打者にその実績も実力もわかっているのにストライクを投げるから打たれる。

ホームランを打たれるくらいなら歩かせろ。

ホームランを打たれるくらいならぶつけろ。

という戦法だ。

 

しかし、今のプロ野球選手は昔のような無骨な選手はいなくなり、仲良くなっているからぶつけない。

ぶつけないから打たれる。

ストライクコースに投げて抑えているならいいが、いつもホームランを打つ打者に甘いコースをホームランされているシーンを見ると、勝つ気があるのかとさえ思わされる。考えてやっているのかと。

 

黒田は昨シーズン藤浪に頭付近に2球続けて放らされてチームの士気に戦う姿勢を見せようと半分、演技を込めて藤浪を恫喝した。

 

と同時に威嚇をした。

 

こうした方が相手が委縮するので自チームに有利に働くからだ。

これも計算づくだ。

「お前はローテーションピッチャーだろ。」と藤浪に怒鳴った。

 

温厚な奴でも勝負をしているときは、気が立っている。
高揚し、ケンカ腰になるのだ。
そうでなければ勝てない。

反面あまりに頭に血が上るようだとまたマイナスだ。

普段、温厚な奴が
勝負をしているとき豹変するのを何度も見てきた。
相手を食ってやるのが勝負の世界。
相手と笑ってしゃべっている場合ではない。

命を懸けて、蹴落とし、食いつき、引きずりおろしてやれ。

 

黒田は球界に蔓延する馴れ合いにも警笛を鳴らしている。
そして、以前には宮本も警笛を鳴らした。

宮本氏、他球団選手とのなれ合いに警鐘

 

プロの世界だから結果が出なかったり、チームに実力者が現れればすぐにクビをきられる世界である。

そういう意味での緊張感や恐怖感はみな持っているだろう。
それならば生き残るために、勝負に勝つためにもっと相手に噛み付いていくべきだ。

たしかに、両リーグで12チームしかなく、明日にもよそのチームに行くことがあったり、クビになったとき拾ってもらうよう嫌われない行動をとるということが頭をよぎることもわかる。

引退後の仕事のことも考えるだろう。

先輩、後輩がはっきりした世界であり、高校の先輩のチームと対戦するときは挨拶することが慣例となっている狭い世界で生きていることもわかる。

プロになり、他チームであれば勝負の世界なのだから先輩、後輩なんて関係ない。

そんなもん気にしていたらレベルはあがらない。
いちいち挨拶や気を使うことすらしなくていい。

一般社会の先輩、後輩の関係とは一線を画し、社会秩序などが存在しない勝負の世界なのだから。
塁上でよく見かける笑いながらの会話など見苦しい限りだ。

日本代表やオールスターで敵のチームのプレーヤーが一緒にプレーしたり、他チーム選手と会食、オフの交流(ゴルフ、食事、合同自主トレ)がこの馴れ合いを生んでいく。

 

ファンはチーム、選手、野球を応援している。
やっている側が人生を賭ける意気込みが伝わってこなければしらけるだけだ。

藤浪が大阪桐蔭の先輩平田にぶつけた時は平田は後輩・藤浪をにらみ、一喝した。

平田は藤浪に怒り、憎しみを現したということではなく、また、平田の先輩としての度量がないというわけでもなく、一瞬、身の危険に対する反抗心が頭に血を昇らせたというところだったはず。

打者はぶつけられたときは、相手がだれであろうと一瞬血が上るもの。

穏やかな性格の人間でも野球をしていれば興奮状態にある。

そこで予期していない身の危険に対しては怒りが発生するのだ。

 

これは、人間の本能であるわけだから悪いものでも抑えるべきものでもなく、むしろ抑え込もうとするとプレーに影響が出る。

勝負に勝つための闘争心がそうさせるということだ。

 

そもそも、謝る必要はあるのか。という見方もできる。

 

謝るということはピッチャーに非があるということになる。

 

日本では、ぶつけた場合ピッチャーは帽子をとって謝ることが一般的であり、少年野球から高校野球にいたる過程でもそう教えられてきた。

 

しかし、野球発祥のアメリカではぶつけて謝るなんて文化はない。

 

日本の国柄そのものの道徳と文化、常識がちがうからとも言えるが、アメリカではコントロールミスによる死球、故意ではない死球は真剣勝負の中で起きたこととで謝ることではないという考えのようだ。

 

もともと謝るとか、へりくだるという考えが美徳ではないという考えがあるのだろう。

 

桑田はぶつけても謝らないピッチャーだったようだ。

 

その理由は「ピッチャーが受けるバッターの打球は160㌔以上で向かってくる。デッドボールも野球のひとつ。おあいこだから。」ということだそうだ。

ちょっとよく分からない理屈だ。

 

打者にはバッターボックスが与えられている。

その中ならどこにいてもいいし移動も自由だ。

ピッチャーがベース盤に触れるように投げ込もうとしているのにその近くに立とうとするのは、ぶつけられてもいいという覚悟があるという見方もできなくはない。

 

自らぶつかりたがっているとも見えなくもない。

 

ピッチャーからしてみればバッターボックスという広いスペースが与えられているのだからその中で離れて立てばぶつからないじゃないか。と言え、離れて立っても打てる技術をもつようになればいいじゃないかと言うこともできる。(かなりの高等技術が必要であり、勝負として成立しなくなるが。)

 

そしてピッチャーにはぶつけた場合、塁をひとつ奪われるという罰も用意されている。(体に硬球が当たって塁が一つじゃ割にあわないというバッターからの見方もある。)

 

また、ピッチャーはベース盤に触れるように投げろ(ストライクを投げろ)というルールはない。

ベース盤を外れて投げてはいけない(ボール球を投げてはいけない)というルールもない。

 

ベース盤から外れればボールと判定されるという罰も用意されている。

こうやって見ていくとデッドボールはピッチャーの非ではないとしか言えず、謝るべきものととらえることはもはやルール不備と矛盾としか言えなくなってくる。。。

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