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追悼ウルフ 小さな大横綱千代の富士よ永遠に

千代の富士が亡くなってしまった。

昭和40年代生まれの私世代の人間にとってこれは、時代を感じざるを得ないできごとで

一瞬ハッと息をのんでしまい、人生のはかなさが胸に去来する。

 

左上手を取れば、自分より大きな相手でもぶん投げる。

右四つに構えれば、自分より大きな相手でもつり上げる。

筋肉で固められた体で豪快な相撲の千代の富士は、昭和40年代生まれの私にはヒーローそのもの。

 

相撲をさほど注視しない同級生でも千代の富士の強さにはみな魅了されていた。

 

昭和の大横綱や平成の大横綱という言い方をするが、最初にこの大横綱という言い方を聞いたのは、私は

千代の富士だった。

その後、貴乃花や白鵬が大横綱となるのだが、私には大横綱=千代の富士であり、

大横綱と言われると千代の富士と比較してしまい、千代の富士のような魅力がないと

その大横綱という言い方に疑問符が頭に浮かんでしまう。

 

千代の富士は北海道出身で

飛行機に乗せてあげるの一言で相撲界に飛び込んだような言い方をされる。

当時、北海道で高跳びに秀で、100メートルを走らせても速い貢少年を角界にスカウトしたそうだ。

相撲取りになる人間が、足が速く、高く跳ぶことができるなど考えられないこと。

この運動能力が体の小さい千代の富士を横綱にまでした。

 

千代の富士は、史上初の5文字四股名の関取だそうだ。

 

左上手をとる取り口から脱臼癖がぬけず、克服するためにその上から筋肉で鎧をまとうという発想。

筋力トレに否定的だった当時の角界に器具をもちこみ、

さらに腕立て伏せは1日何千回もということを聞いたことがある。

 

鎧をまとった千代の富士は、理想的な筋肉、体型と言われ、重量挙げの選手として専念すれば

金メダルも可能と専門家に言われた。

 

左上手をとれば相手の首根っこを押さえつけ、豪快にぶん投げるウルフスペシャル。

右四つになれば小さい体でも吊り上げる。

寺尾には顔を張られたので捕まえたら、これでもくらえとばかりにつり落とし、土俵にたたきつけた。

横綱・旭富士にはもろ差しを許しながら、上からキメ、そのまま一気に土俵下まで放り出した。

自分より大きい相手をキメだしなど、今から考えると本来ありえない技だ。

この時、私の父が

「キメだしは、実力差がなければきまらない技だ。」

と言ったのが印象深く、同じ横綱でありながら千代の富士は桁が違うのか。と。

 

千代の富士全盛時代は長く続いた。

毎場所、千代の富士が優勝し、

序盤で負けても終わってみればやっぱり千代の富士が優勝していた。

少し前の白鵬のようだった。

 

千代の富士は晩成の力士だった。

30過ぎて強くなったような印象の稀な力士。

塩のまき方が一旦、肩の位置あたりまで腕を上げてから横からまく。

この方法は、当時は千代の富士しかしていなかったように思う。

たいがいの力士は、塩を持つ手からパラッと捨てるように歩きながらまくが、

千代の富士は直立し、腕を上げ、横からまく。

今は、白鵬が同じような塩のまき方をしている。

 

九州の不良だった千代大海は、千代の富士の強さにあこがれ弟子入りした。

塩のまき方は、明らかに千代の富士を真似ている。

取り口は押し相撲だった千代大海は、千代の富士のような相撲はとれなかったため

せめて塩のまき方だけでも真似たのか。

 

長くなったので明日へつづけよう。

哀悼千代の富士。

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