千代の富士の愛称、「ウルフ」は、親方が呼んだと記憶している。
私の認識では、キッとつりあがった目つきが野生の狼のように鋭いからこの愛称になった。
ちなみに「白いウルフ」と呼ばれたのは、益荒雄。
筋骨隆々で男前の千代の富士は、女性にも人気があった。
同じように筋骨隆々の男前に大関・霧島がいた。
千代の富士と霧島は風貌が良く似ていた。
千代の富士の得意技つりだしを霧島も、よくやっていた。
特に、霧島はうっちゃりが得意とされ、相手に寄られ、土俵際で相手のまわしをつかんでいると
倒れながら相手を持ち上げ、土俵下に投げる。
つりだしを得意としていた千代の富士も霧島につり出されたことがある。
大関・貴ノ花は、千代の富士に敗れ引退を決めた。
小兵で男前という、同じようなニュースター千代の富士が現れ、敗れたことで
角界のプリンスは時代を譲ることを決意したのだろう。
そしてその息子の貴花田に敗れ、今度は千代の富士が引退を決意する。
この時、初日に貴花田との一番が決まり場所前から大きな話題となった。
そして貴花田に敗れ、千代の富士最後の一番となる貴闘力に敗れ、
その夜、大横綱千代の富士が土俵を去ることが伝えられた。
この時、敗れた貴闘力も貴ノ花である藤島親方の弟子という因縁だ。
貴闘力は千代の富士と一番とれたことを、「自分も大横綱と同じ土俵で一番とれるまでなった」
と感激したそうだ。
この感覚は非常にわかる。
野球選手にもよくこの類の言葉をよく聞く。
テレビの中でしか見ることのなかったヒーローと実際に同じ土俵、同じフィールドに立てば、
勝負云々より自分がやってきたことに感慨が深くなり、信じられないようなフワフワした感覚になるだろう。
貴花田に敗れたあとも土俵に立ち、
実は、敗れた直後は引退を決意するほどではなかったとも言われるが、
貴ノ花に引導を渡し、その息子・貴花田に負け引退したというのが一般的だ。
この場所の初日に組まれたこの取組で若干18歳の貴花田が勝ち、ニュースター誕生の印象を
誰もが持った。
この時、「出てきた芽に対して鍛え直してこいと伝えるのも責任。」と語ったと聞く。
まさに横綱の責任と立場を全うした発言であり、大横綱・千代の富士にしか言えない言葉だ。
場所がないこの7月31日という時に亡くなったのも相撲界を慮ったかのように責任を果たしたように感じてしまう。
千代の富士は一代年寄を断っている。
第二の千代の富士を育てたいからじゃなかったかな。
大鵬、北の湖と一代年寄が亡くなり、ここでまた千代の富士が亡くなった。
ちなみに今いる一代年寄は貴乃花。白鵬も一代年寄となろう。
千代の富士が亡くなった今、引退会見の模様を目にする。
「体力の限界。気力もなくなり引退することになりました。」
この後の言葉が
「以上です。」
と伝えられている。
当時メディアで伝えた言葉は
「無常です。」だった。
いつからか「以上です。」になった。
ことばのつなぎで考えると「以上です。」と言っている気がするが、
聞き直してみても「無常です。」に聞こえる。
当時、「無常です。」で伝えられていたので
子供の私にはどういう意味だろう?と印象深かった。
筋肉美、仕切りの美しさ、足が高く上がる四股の美しさ、相撲の豪快さ。
ほれぼれする。かっこいい。男の憧れだ。
2日にわたり、展開した追悼・千代の富士。
無常です。