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天才の称号

イチローは、いわばそれまでの常識からは逸脱した打撃技術でいきなり、

200安打を超えるという偉業を達成した。

他にも足の速さ、守備範囲の広さ、肩の強さと全てにおいて超一流のプレーで、

今まで見たことがない選手として人々を驚かせた。

故に天才と称号されることになる。

これらは積み重ねにより生まれたもので、イチローとしては幼少期からの鍛錬の賜物であるが、

観ている方には衝撃として映った。

 

国民栄誉賞を遅ればせながら長嶋が受賞したときは、松井との同時受賞だったので、

長嶋信者のオールドファンは憤慨する人が多かった。

2人の野球の成績や技術を比べて松井が劣っているからというわけではなく、

どれだけのインパクトを与えたかということなのだ。

戦後最大のスーパースターと同じ賞を、同じタイミングで授与したら

同列という印象を免れない。

長嶋が松井と同列に扱われるのが嫌で、そこが納得いかないわけだ。

実績ではなく、プレーぶりで比較した場合、殊打撃力ということだけでとってみれば、

長打力は松井が上ということになろうし、実際ホームラン数は松井が上だ。

だが、長嶋というスーパースターがいて、さらにその傍らには王という稀代の

ホームラン打者がいることで野球人気が沸騰し、日本に野球が根差し、それらの積み重ねで

松井というホームラン打者が生まれたことになる。

 

突然ゴジラが生まれたわけではなく、関連があるのだ。

そして松井が長嶋と同じ時代に生まれていたら、我々の知る松井の姿ではきっとないだろう。

我々が知るゴジラとしての成果は残せていないはずだ。

 

初代タイガーマスク以上の技は今では腐るほどあるが、

タイガーマスクの時代にタイガーマスク以上の事はできなかっただろう。

プロレスは相手の協力も必要だから当時はそれに対応できる選手がなかなかいまい。

 

冷酷なタイムで優劣をつけるマラソンや短距離走、水泳も世界記録を作った人が

人類史上最も優秀であるはずだが、そこには靴などの道具の進化、情報の進化、

トレーニングの進化、肉体の進化などがある。

今の世界記録保持者が過去に戻って、誕生から走り始め、その時代の情報の中、

世界記録を出せるとは限らないだろう。

 

名著と言われる古典を今、それを生み出したとしても古い部分はある。

その時代だからこそ心に響くという部分があり、今それを書いても

名著とはならないものも多かろう。

その時代に生んだから、大変な秀作であり、すごいと感じるものだ。

また逆に、近代の文豪がその当時に戻っても、その当時の情報しか得られなければ

その時代の名著レベルのもの、または実際に自分の時代に生み出したものを作れはしないだろう。

 

最も顕著は技術開発。今の機械を過去に戻っても生み出せない。

ただ、絵画のような芸術は発展しているものなのだろうか。

大昔の絵が今も最高かもしれない。音楽とかも。

明日へ。

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