斎藤がここまで注目され長く取り上げられ続けたのは全てはハンカチを使ったことによる。
汗は常に吹き出す夏の野球で、しかも泥だらけになる高校野球でプレー中にハンカチというか、
ハンドタオルで汗をぬぐう必要などないと思われるのに、わざわざそんなものを使ったことが斎藤をスターにした。
本人はそんな意図はなかっただろうが、何でも目につくものは取り上げたいマスコミが
大きく取り扱ったことで、その甘いマスクとともに世の中が反応した。
すると、斎藤は勝ち上がり、夏3連覇を狙う駒大苫小牧とは決勝戦再試合完投。
王や荒木でさえ成し遂げられなかった古豪早実初の全国制覇。
ハンカチからはじまり、斎藤をスターにするには話題てんこもりのストーリーとなった。
ここで一気にフィーバーとなったものの進路は早大を選んだことでこの人気もそのうち薄らぐものと思われた。
大学野球は一気に過熱する高校野球とは異なり、一般の人の注目度は落ちる。
さらに大学野球は全体の実力が上がるうえに4年間と長い。
取り上げられる量が減るのに期間が長ければ、それだけ人気を維持するのは難しい。
ところが、大学でもきっちり活躍したことでハンカチ人気を4年も維持した。
斎藤の実力はこの部分が最も特筆されるところだ。
4年間、下降することなくしっかり結果をだしたことはたいしたものだった。
これのおかげでプロ人生がここまで続くことになり、斎藤ブランドを確立することができた。
これがなければとっくに忘れられているところであり、これのおかげでプロでもクビを受けず、引退の体裁を保てた。
斎藤が全国に知られることになる2006年の夏。
西東京大会の決勝では日大三相手に延長10回表、斎藤自身のバント処理3塁悪送球で
勝ち越しを許し、3連覇中の日大三が4連覇で甲子園か、と思われたが逆転のサヨナラで甲子園出場を決めた。
その大会で早実は都立校にも1点差の試合で苦しめられた。
斎藤がここまでのスターになるには高校野球という日本の文化によるもので、さらに
一発勝負の高校野球で、ギリギリを乗り越えてきたということが言える。
勝負にタラレバはないとはいえ、本当にどっちに転ぶかわからないものでそれは
運と言っていいものだ。
ハンカチ、予選での勝ち上がり、と”もっている”ことは間違いないストーリーだった。
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