今週の出来事。
滋賀学園は、近畿準優勝チームだ。
21世紀枠で出てきた釜石高校では相手にならない。
この試合、地区予選でよく見る強豪校に粉砕される公立校のような図式だった。
それが、甲子園の舞台で展開された。
ハナから相手にならない組み合わせが全国の舞台で展開されるわけだ。
地元の人たちは、楽しみがあっていいだろう。
高校野球なんてそういう楽しみがあっていいだろうし、部活動の試合に力の差がある公式戦があってもいいだろう。
しかし、野球の発展を願うものとしてはこの試合は、意味がないものだった。滋賀各園のエースはこんなところで消耗する必要がなかった。2番手以降のピッチャーで充分だった。
これで21世紀枠の釜石、小豆島、長田と姿を消した。
釜石、長田の試合は、地方予選で負けるレベルのチーム力だった。
長田はエースが良く投げていたのにバックが足を引っ張りに引っ張りまくった。
小豆島は、香川チャンピオンであるのに釜石に負けた。
21世紀枠というお恵み制度のあり方を考えさせられ、同時に高校野球のシステムを考えさせられ、さらに、高校野球以外のシステム構築を考えさせられる。
これを防ぐのは無理だ。
チームで伝達方法をさりげない動作にしてしまえば、わかりはしない。
防ぐことができないのなら良心に頼るしかない。
もしくはこのように注目が集まる場で啓蒙することによって印象付けることだ。
しかし、サイン盗み自体はたいした問題ではない。
野球は間合いと心理戦のスポーツなので相手を観察することはむしろ最も、とるべき戦術だ。
つまり相手を読むということは高等戦術ということだ。
そうすると、野球というスポーツは広義には化かし合いということになる。
サイン盗みだって化かし合いであり、かつ心理戦だ。
今の高校野球は情報戦が常識だ。
予算を割ける強豪校ほどここに力を入れるが、この情報戦が過熱しないよう高野連は、偵察に禁止条項を設けている。
球場でのライバルチームの偵察には、スピードガンの持込みも禁止とか。
ここで問題なのはサインを盗む行為ではなく、ダメとされていることをわかっているのにチームでやろうとするその精神のこと。