あの試合の審判ならとっていただろうなと言われる場面がある。
人によって感性は違うし、見えている世界は違うし、単純に視力や視界、見方が違うのであり得るだろう。
リクエスト制度により、再度の検証が可能となり、判定が覆ることも当然という認識になったが、
ストライク、ボールについては1人の人間の判断に委ねられている。
ということは、審判次第で点が入っていた可能性があり、
ひいては審判次第で勝敗が決する可能性があるということになる。
本来そんなことはあってはならなく、事実は1つのわけで、故に判定は正確こそ是ということになる。
昔は、いわゆる、“いってこい判定”、“流れアウト”といったものが公然と認められている時代があった。
今も、ストライク、ボールにはあるだろう。
俺がルールブックだ、のセリフは名言とされる。
判定による機微もエンターテインメント野球にはひとつの演出として楽しんだ頃があった。
情や雰囲気で下される判定とそれに不服とする指揮官との小競り合いを楽しんだ時代だ。
金田や星野や上田のようなシーンはもう見ることはない。
まあ、みっともないからそれでいい。
昔は怒鳴ったり、殴ったり、蹴ったり、審判の説得にも頑として聞き入れず、
コミッショナーが説得に乗り出すこともあった。
まだ、ストライク、ボールには
敵でもない相手に自分のプレーを左右され、試合を支配される。
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