毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

バッターボックスの白線は消さない むやみにグラウンドを荒らさない

昨日はバッターボックスの白線を消す行為を記した。

2021-1-19 バッターボックスの白線を消す行為

 

バッターボックスの白線を消す行為は、舞台を整えてくれた人たちへの配慮に欠けるということだ。

そういうことで言えば、攻守交替の際、ダイヤモンド内を走ってベンチへ戻る、あるいは

守備に就く行為もそれに通ずるだろう。

 

内野ゴロのイレギュラーバウンドは土のデコボコのせいで起こる。

試合の中盤でグラウンド整備が入るのは、それを防ぐため、荒れたグラウンドを

整えるために行う。

であれば、プレー以外のところではなるべく、グラウンドを荒らさない配慮があっていいだろう。

外野手はダイヤモンド内を避けて移動する。

内野手は3塁側ベンチだったら1塁手、2塁手は1塁側のファールゾーンを、

1塁側ベンチだったら3塁手、遊撃手は3塁側のファールゾーンを通って移動するよう心掛けたほうがいい。

監督や指導者にその意識をもって、選手を導いたらどうだろう。

 

神奈川の高校野球はキャッチャーがマスクを脱ぎ捨てプレーした場合、相手の打者が拾ってあげることを

マナーとして推奨しているそうだ。

推奨というより、むしろ義務の方に近いそう。

これをやると確かに観ている側からすれば、相手へのおもいやりや配慮を感じ、悪い気はしないのだが、

高野連からの命として、やらなきゃ、やらなきゃと無理矢理やらざるを得なくやっているように映る場面があり、

自然な姿に見えない。

教育は、命令して押さえつけてでも、やらせなきゃいけない場合があるものだろうが、

この行為はあくまで自主的に、自然な形で選手の行動となっていってほしい行為だ。

 

それは、落ちたマスクを拾うことにあまりにも意識が行き、試合に対する集中がそがれるだろうにと感じる瞬間があるからだ。

マスクが落ちる度に、打者は拾う。それも自分の足元に落ちているなら、そりゃ拾うのも、当然だが、

わざわざ、自分の打席から遠いところにあるものまで歩いて行って、あるいは小走りに近寄り、拾い上げる。

さらには、キャッチャーが打球を追いかけて行って、そのプレーが終わり、キャッチャーズボックスに戻る途中に

落ちているマスクにまで、打者が近づいて行き、拾い上げる。

キャッチャーが戻りながら拾う方が自然に思えるような場面だ。

 

マスクを拾うことに意識が行ってしまうと、試合に集中できない。

打席に立つ打者は、その1球が終わった後、次の戦法を考える。

ストライクだったら、ボールだったらファールだったら、変化球だったら、空振りだったら、

あらゆる状況で次にとるべき対応が異なってくる。

ヒットを打とうか、セーフティーでも仕掛けようか、球数をかけさせながら待球しようか、などと思考を巡らせる。

戦略に考えを巡らせている最中にマスクが目に入り、手を伸ばして拾ってあげるくらいなら良いだろうが、

わざわざ小走りに近づいてまで拾い上げるとなると戦略の思考の邪魔になり、それは、

チームの試合運びへ影響し、勝利から遠ざけることになりかねない。

足元に落ちているマスクを拾わない打者がいると、余裕がないとか慌てているとか捉えられ、

ベンチの選手たちからも「マスクを拾え」と掛け声が上がるらしい。

これはやりすぎた配慮だろう。

それよりは、攻守交替の際にファールゾーンを走る配慮の方が推奨されたい。

マスク拾いに見られる、相手への思いやりは度が過ぎることがないものであったらいい。

相手への配慮はケガした選手に駆け寄り、コールドスプレーを用意するとか、見舞ったり、

声をかけてあげたり、肩を貸してあげたりということで達成される。

野球情報メールマガジン

https://twitter.com/yakyucolumn

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP