オリンピックはスポーツの祭典という言い方をする。
日本には元来スポーツというものがない。
日本発祥のスポーツと勘違いされる剣道、柔道、相撲など全て、心と体を鍛錬するもので、
勝敗を目的としていない。
体を使った勝負を目的とするスポーツとは性根が違うのだ。
柔道はオリンピック競技に採用され、テレビや新聞、雑誌でスポーツの括りで伝えるので
スポーツと勘違いされる。
スポーツは勝敗を目的としている。
そしてその中に興行や悦愉が含まれるのがスポーツだ。
侵略や戦争の歴史である欧米は競技を勝敗としなければ気が済まないからそうして発展したのだろうか。
そして勝敗を目的とすることが楽しいからだろう。
戦争で勝つことに喜びを持ってきたからかもしれない。
日本のいくさは美や勇や義が必要でそれに反するようなら負けること、つまり死んだ方がいいという考えだ。
スポーツと言う概念のない日本は思想、美意識、正義、道徳、を抱合した心技一如のものしかない。
日本発祥のスポーツであるケイリンや駅伝も自転車や陸上の延長であり、
それがルール整備されたということで独自に生まれたスポーツとは言い難い。
そしてスポーツを運動と訳してしまったことがこれに拍車をかける。
つまり体を使った競技は皆、スポーツと思ってしまうのだ。
阿部はこのオリンピックで優勝した時、喜びを必死に抑えていた。
手を挙げそうになったところを柔道家として何とか自分の感情を抑えたというように見えた。
妹が大喜びしていたのとは対照的だった。
こういった精神性を含めたものが日本発祥のもの。
柔道家は運動家ではあるけどスポーツ選手ではないのだ。
柔道家はアスリートであるけどスポーツ選手ではないのだ。
阿部のこの態度を見た時、興南高校が春夏連覇した時の我如古の3塁打が連想された。
準決勝で我如古が右中間を割り同点の3塁打において3塁へヘッドスライディングすると、
起き上がりざま拳を握り、腕をあげようとして思いとどまった。
興南高校はプレー中の過度のガッツポーズを禁じられている。
同点の3塁打なので興奮の最高潮にいる我如古は当然、腕を挙げたくなるところだが、
教えを思い出し、思いとどまった、というところだった。
まさに阿部と同じだ。
ガッツポーズを禁ずる理由はいくつかある。
それについては明日にしよう。
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