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忘れたい苦い記憶

少し前にリングでの花束贈呈の催しに本人には渡さず、放ったことで世間はくいつき話題になっていた。

この行為について、いわゆる総叩きの大炎上という事なのだが、そもそも花束を、

闘う直前の選手に渡す意味があるか。

花束贈呈はよくある光景なので疑問に思わなくなっているが、戦闘モードに入り、

緊張ピークの状態で花束を受け取る心境はどのようなものだろう。

嬉しい、とか、ありがとう、という気持ちになるとはとても思えない。

実際、受け取った選手は大概、すぐにセコンドに渡し、その花を愛でるなどということはしない。

プロレスでは花束贈呈のあと、それを客席の方へ投げて気合を表現し会場から歓声が起こるとか、

それで相手を叩き、そこから両者乱れて、混沌とした中、ゴングが鳴り、試合開始といった演出がある。

どちらの場合も花はないがしろだ。

セレモニーとして花の存在は文字通り華やかにはなるが、意味があるとは思えない。

このセレモニーがあろうが、なかろうがイベントに影響あるとは思えないということだ。

受け取った選手がその後この花をどう扱うかを考えてみると、もし負けでもしたら

見たくなくなるだろう。

苦い記憶を思い出させるし、その華やかさが嫌味にも思えるだろう。

または誰かがもらって行っても全然気にしないだろう。

その行方を気に掛けている選手はいないと思われる。

捨てられていても何とも思わないだろう。

そもそも存在自体を自分の手から離れた瞬間忘れている。

試合後に食事にでも出掛けた時にそれを持って行かなければいけないのだったら面倒くさいだろう。

たとえその花をありがたがり、家に飾りたいと思ったとしても清潔とは言えないリング上で、

多くの人がいる中、多くの人が触れ、リングから控室、そこから移動とあっちこっちを経由した花より、

もらえるのならリング上ではなく、部屋に入る直前にもらいたい。

野球ではホームランを打つと、よく人形が渡される。

これを喜ぶ選手はまずいないだろう。

つづく。

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