宮城県初の優勝は名門・仙台育英。
これまで何度も決勝の壁にはばまれていたが、監督のことばを借りれば100年の扉を開いた。
それはやはり名門がやってのけた。
それは同時に東北勢の悲願となるそうだが、東北のチームは東北をどれだけひとくくりに思っているのだろう。
興南が優勝した時、同じように沖縄の悲願という言い方をした。
こちらは腹に落ちる。
沖縄は琉球から日本、そしてアメリカからまた日本という過去があるし、
戦争の舞台となってしまった悲劇があるし、パスポートが必要な時や
甲子園の土を持ち帰られない時を経てきた、という差別があった。
一方、東北はどうだろう。
宮城初というのは意識するだろう。
それは代表を争って秋春夏とトーナメント戦があるからだ。
東北と言っても宮城と青森では大分距離があるし、さらに福島と青森ならもっとだし、
同じように関東の選手が関東勢として意識することはまずない。
そして同じように例えば東京も宮城同様、東京内のチームは必ず意識する。
甲子園では東京のチームに勝ってほしいと思うし、東京をものさしに他のチームを見る。
まして仙台育英の選手は宮城出身の選手は多いものの、それを除けば東北以外からの選手が
数多くいるからなおさらだ。