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プライドと敬意の交錯 握手拒否こそスポーツマンシップ

アメリカ戦の前に大谷が「あこがれは捨てましょう」と言った。

決勝戦にいざ臨むという時になってアメリカを憧れにとらえている選手がいるとは思えないので

この発言は陳腐に聞こえた。

しかも大谷はすでにアメリカでも憧れられる側に立ってしまった存在だ。

大谷はこの決勝戦、自身は格上と思って臨んでいたはず。

ただ、決勝の相手に不足はない、という状況ではあった。

格で言えば野球の母国であり、前回優勝だから、相手の方が上、

さらにアメリカの地でアメリカに勝つことをひとつの目的にしてきたこの大会では

緊張は最高潮だっただろう。

勝負事にはこういう格がつきまとう。

プライドをもって闘う、相手をなめる、ぶっつぶしてやる、殺してやる、こういう気持ちを内に秘めるもの。

これらはあって当然だ。

これを否定してしまっては、そもそも勝負事が成立しない。

以前、神奈川の名門校が3回戦で県立高校に敗れ握手を拒否した、と話題になったことがあった。

選手は最後の夏、高校野球が終わってしまったこの状況では興奮と落ち込みの境地にある。

理想とされる姿勢を少しでもはみ出すと、たかが高校の部活動に対して、選手の、

いち高校生の少年の精神まで蝕むほどの集中砲火となってしまう。

この試合は、その名門校不利の判定が目に付いた。

それに対する不満があったのだろう。

俺たちは負けていない、と。

名門校のプライドだ。

高校生の部活動の出来事を暴力行為や飲酒、犯罪でもないのに大騒ぎするなら、

対象の立場を慮り自身の立場を鑑みる一呼吸が必要となる。

普段は教育に関わっていない、見向きもしていないのに、アマチュアの、

それも高校生の部活動に夏になった途端、ちょっと気にかかったことには外部から参加していい権利を突如手にしたかのよう。

やっている側からすれば、俺たちの活動にいちいち入り込んでくるなよ、てなもんだ。

外部の者は観させてもらって、彼らの無償のドラマを楽しませてもらっている立場だ。

なんでも横一線に思っているから、その通り事が運ばないといやなのだろう。

高校野球は勝敗より高校野球らしさを見せるもの、そしてこちらを感動させてくれなきゃだめ、と思っているわけだ。

私立の強豪、名門は上目線でいい。

当然だ。野球にかけてきた濃度が違う。

そして外部が好む高校野球のドラマを作ってきたのは、こういう名門校で

野球を一生懸命やってきた名選手たちだ。

その選手達にプライドがない方が困る。

そのプライドにぶつかっていく格下のチームという図式がさらに高校野球ファンを喜ばせてきたのが事実。

格下チームはむしろ握手拒否くらいされた方が勝った実感がある。

握手できないくらい、相手のプライドを逆立て、怒らせてやった、という自負だ。

私立の強豪、名門はどんなに行っても、そうでない野球をやっていた奴と同列で語られたくないし、

プライドがあって当然。

それでいい。

格下チームが強豪に一目置かれるようになるには恬淡と勝つしかない。

弱者は強豪に対してコンプレックスを持つものだ。

それを感じなかったり、差別的発言に怒ったり、スポーツマンシップとかが気になっているとしたら

ただの鈍感な奴ということだ。

いつまでも畏敬をもつ事の方が普通だ。

たとえば、中学で野球をやめた奴は高校野球を続けただけの人間に対しても敬意がある。

自分の知らない世界に飛び込んだ奴、と。

それだけにとどまらず、厳しい環境の名門校を選択し、さらにはそこでレギュラーになり、

甲子園にでも出ようものなら一生、一歩引いてしまいがちだ。

まともに目を見て話せなくなるほどの気後れを感じても普通の感性だ。

ビートたけしはプロ野球選手には年下であろうと尊敬し、敬語になると、

ずいぶん前に発言していた。

それは自身の最も憧憬の分野で立身した人だから。

自分には絶対できない事を実現した人だから。

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