甲子園に出るようなチームはほとんどが高校生活を野球に費やしている。
貴重な青春の時間を費やす決断は、命を懸けてとまでは言わないが、人生を賭けてと言うのは大げさでない。
それだけに負けた時は涙が止まらない。
昨日も記したが、その時の感情は負けた悔しさによるもの、そして目標に達しなかった無念さ、
さらには高校野球からの退場をつきつけられた現実、
そしてもうこの仲間と野球をやることは一生ない、と宣告された現実。
この甲子園で負けたチームの中には三年生にまだ国体が残されているケースがある。
だから、一応まだ仲間と野球をする機会がある。
だが、この先は負けられない戦いではない。国体で負けて泣く奴はいない。
春に負けて泣く奴も少ない。
夏は負けたらむしろ泣く奴の方が多い。
本当に涙が止まらない、立ち上がれない、という状況を経験するのは一生のうちでも
この時くらいと言えるほどだ。
これこそ教育じゃないか。
どんなにうまいやつも下手なやつも同じ時間の中でだけ熱中するという有限で特別の舞台。
そこで一生のうち唯一経験できる心の衝動は人間の生きる意味であり、それは教育そのものだ。
心が育まれる。
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