勝敗とミスに関しては采配をした監督に責任がある。
選手はプレーを一生懸命やり、チームに貢献するよう努力することと、
自分の選手としてのパフォーマンスに集中する。
選手は責任を負うことなく、うまく行かなければ立場を追いやられるという
憂き目にあう事となる。
責任はないので、非難を受けなくていいのだが、戦力外という絶望が待ちうける。
戦力外が発表されるのは優勝チームが決まり、シーズンに勝ちを追わなくなる時期で、
将来を見据えた選手起用へとシフトする頃。
勝ちを優先する時期は、たとえ戦力外が決定していてもモチベーションに響くので
こういう発表は控えるものだ。
逆にチームや球界に大きな功績がある選手の引退は早めに発表することで、
最後の花道を、と他の選手に奮起を促したり、
寂寥のファンの注目を集めたりするのに利用する。
プロは能力がある選手だけが集まる場所であり、しかもその瞬間、
フィールドに立っているのは9人だけという制約があるから、
毎年血の入れ替えが起こる。
しかも守備位置が決まっているので、実質、1枠を争うというような過酷さがある。
元々、能力がある選手だけが集まり、さらに毎日野球だけやっていい環境で
さらに実力を伸ばす。
プロに入ってからメキメキ実力を伸ばす選手も多くいて、
さらには他球団からも海外からも選手はやって来る。
そして、ちょっとの差がレギュラーと控えに分け、
レギュラーはずっと試合に出られるので実力を伸ばせる。
控えは出場機会がたまになので、その機会に結果を残さなければいけなくなり
うまくいく確率は低くなる。
こうして、その実力が離れていくことになる。
観ている方は華やかな部分ばかりを知らされるが、ほとんどが日の目を見ず、
不遇な野球人生と感じて退場していくものだ。
球団から戦力外を言い渡されながらもプロにこだわる選手は
まだやれるという発想ではなく、
プロのレベルに相応しいプレーでファンを酔わせられるか、
チームの勝利に貢献するためには必要か、というところで判断したい。
ピークから落ちたら身を引いたらいい。
自らの最高峰のプレーにはもう届かないと思えば、
身を引く方がプロとしての考え方に思われる。
通用する、というレベルではなく、トップから落ちたら譲るということ。
それはプロだから。
惜しまれつつ引退がプロはいい。
名選手ほどその引き際が大事だ。
まだやれるのにという時。
そして選手を退き、今度は勝敗に責任を持つ首脳陣へと立場を変えて行くのだが、
選手時代はスターと崇められても監督となってしまえば、
結果を出さなければすぐに憎まれ役となる。
監督とは厳しい役職だ。
現役時代、応援され、賛美され、引退時には涙で送られた人でも
監督で敗ければ、こき下ろされる。
現役時代のかっこよさと監督としての能力は別の目で見る。
あの王でさえ、福岡へ行った際はたまごを投げつけられた。
巨人の監督であれば、結果が出なくとも、さすがにあの王に東京では
たまごを投げつけるなどということはなかっただろう。
福岡へ行った王へは、頼むからやめてくれ、という横断幕に大合唱。
そして、たまごと、屈辱にまみれた。
その後、今のソフトバンクの強さへとつなげ、会長になり、
いわばソフトバンクホークスの元帥となったわけで、
今の王会長には福岡のファンも何も言えないだろう。
ファンとはこんなものか。
野村は弱小ヤクルトを強豪にまで育てたのに、奮わないシーズンで負けが込むと、
萎縮するほど試合後のヤジを浴びた。
神宮は球場から退場する時、一塁側の客席に沿う形でファールグラウンドを歩き、
ライトのファールグラウンドから外へ出る。
響く怒号に、「あーゆうのはどっちのファンなんだ」とボヤキ、
後日の試合でまた負けると、
「またあそこ歩くの嫌だね。ボロクソにヤジられる」
とボヤく。


