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高校野球の最後通告 引退試合 再録

夏の大会を前にベンチ入りできなかった三年生メンバーによるこの引退試合は、

これまで2年数か月厳しい練習を乗り越え野球に打ち込んできながらも、

最後の晴れ舞台に上がる可能性のなくなった選手たちへの労いのために舞台を用意してあげる、

というのが一番の大きな理由だ。

と同時にだれにでも平等に練習を課し、時間や場所、道具を全員で共有する野球をやっていては

強くならず、勝ち残って行けないためでもある。

ベンチ入りを逃した選手はこの引退試合をはなむけに引退を告げられ、

これ以降はグラウンドでの練習は許されず、ベンチ入りメンバーの練習のサポートに回り、

自分の練習をすることはない。

これによりチームの意思は一方向を示し、色んな人の思いを背負い、

戦う意識が芽生え、力へと変えて行く。

その効果を期待してのものでもある。

能力や制限があるため、野球をする機会を平等にしない方が効率よく、

その方が結果、より喜びが多くの人にもたらされると考えられているから。

誰にも平等に同じ練習を課す全員野球では最高のパフォーマンスは生まれない。

大きな目的は上の2点だが、最近はそれ以上に親への配慮、という理由もあるかもしれない。

そうでなければ、引退試合はもっと早く行い、もっと早い時期にメンバーを絞り、

大会へ集中した方がいいように思うからだ。

もう、大会が目の前に来ている時期に、引退試合などの時間はもったいない気がする。

つまり、親への配慮が大きな目的であるため、夏になるべく近い時期で

背番号の発表のあった後に行っているのだろうと思われる。

この引退試合の挙行により、選手全員と親に一区切りがつき、

レギュラーメンバーに集中して練習してもらうことで実力を伸ばすと同時に、

サポートしてくれるメンバーの分もやってやろうという意識が芽生え、

チームのために戦う意識へとなる。

サポートメンバーも練習をするより、レギュラーメンバーに思いを託し、

勝つことの方がよっぽどうれしいという考えをもつようになる。

勝負は勝つためにやることが大前提だから。

しかし、機会の平等は与えられているかもしれない。

同じ野球部の看板を背負うことは許され、練習場の出入りも許され、近くには実力者がいる。

その中で自分のできること、自分がやるべきことを見出せばいい。

分相応に自分を磨き、目標を見いだせれば、レギュラーでなくとも、試合に出なくとも、意味はある。

そしてチームの勝利こそが個人においても最高の結果となる。

身近な社会を引き合いに出してみよう。

次週へ。

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