仙台育英と沖縄尚学という優勝候補同士の一戦。
タイブレークの延長11回、2点差で打席に立つ吉川はずっと泣いていた。
敗戦後チームメイトに、打席で泣くなよ、と突っ込まれていたが、打席に立ちながら、
つまり試合が決していないのに涙があふれるのはそれだけ精魂込めて取り組んできたからこそだろう。
安易な気持ちで取り組んでいたら試合中の打席で涙は出ない。
コメントのひとつに
「仲間の顔が思い浮かんできて、涙がでてきた。まだまだ仲間と野球がしたかった」
西日本短大付属の4番・佐藤は試合終了後しばらくは笑顔をつくり、
気丈に振舞おうとしているように見えた。
しかし、時間が経つにつれこらえきれなくなり、一度堰を切ると涙は止まらなく、
インタビューをされても泣き通しだった。
「まだみんなとしたかったという気持ちがこみあげてきて、すみません涙が止まらないです」
敗けたくやしさ、目標に届かなった無念、といった勝負に対する涙とともに、
一番はこの、もう高校野球が出来ない、という現実をつきつけられることが涙を止めさせないのだ。
そして後輩はもう、先輩と野球が出来ないという現実。
今まで一生懸命やってきたものをこの瞬間に取り上げられる。
絶望に近い感覚だ。
だからこそ、逆に当事者でない人間としては敗けたら明日がない、ということに
最も惹きつけるのだろう。
その試合で勝者と敗者を決定する。
シーズンとなると、その試合では勝者は白星一個もらうだけで戦いを続けさせられるし、
敗者にはチャンスが残る。
それから10代の情熱という、多くの人が経験したあの頃をよみがえらせる。
と、同時に経験した人間だから、見守ってあげたいという気持ちがわく。
そこにまだ届かない子供達は、大人のやる仕事ではなく、
そう遠くないお兄さんたちの必死さに見入り、親近感を覚える。
永遠、不朽の人間たらしめるこの循環。


