明後日には開幕だ。
オープニングピッチャーとして最も注目が集まる大谷についての過去の記述を今週はつづける。
2015年5月25日のもの。
『真の二刀流 』
大谷を二刀流などと言うのなら正キャッチャーとして常時試合に出場し、主軸を打ち、
チームを優勝させていた野村、古田、阿部も二刀流と言えるという話をしたのが昨日。
むしろ、大谷よりこちらの方が真の二刀流だ。
なぜか。
野球は常に試合に出場するためには守って打つというまったく別の作業をDHを除き、
行わなければならないルールとなっている。
どちらか得意な方に集中することを許していない。
チームに必要な野村、阿部、古田はルールに従い守って打つことを同時にやらざるを得なかった。
たとえば、彼らに打撃だけに集中させていたらもっと、いい成績を残していたかもしれない。
阿部をファースト転向させたのがいい例だ。
負担のかかるキャッチャーを回避し、打撃に専念させようとした。
ただ、考えることを強要されるキャッチャーだったからこそ
それが打撃に生きたという側面もあるかもしれないが。
それは野球のルールの中で仕方がないことだった。これは、たらればの問題ではない。
大谷は違う。
大谷の兼任はルールに縛られていないからだ。
やらなくていい、やる必要がない、やってはいけない兼任に手を出している。
これは二刀流とは言わない。
なぜなら両方やる相乗効果がなく、それぞれのベストパフォーマンスを削り合うからだ。
宮本武蔵の二刀流は両方の腕に刀を持った方が、戦いに有利だからとそうした。
大谷は、両方やっているうちは投手の成長も野手(打者)の成長も可能性を狭めることになる。
一つに絞った方が、効果が大きく、敵にダメージを与え、自らを勝利に近くするのだ。
野村、古田、阿部はルールに従い、やらなければならず
自チームを勝利に近づけたのだからこれこそ二刀流なのだ。