先週は高知商の野球憲章抵触について記した。
2019-1-25 高知商の日本学生野球憲章に抵触するとされる行為
高校野球はこれだけの巨大コンテンツであるから
こんな些細なことにも目くじらを立てなければいけなくなった。
一方で、高校野球は教育の一環というのと同時に興行でもある。
選手はそれを意識せず、自分のプレーを一生懸命やればいい。
それについて何かにつけファンがあーだこーだ言うのは、ほっとけっていう話だ。
なんせ、所詮高校生の部活動なのだから。
選手たちからしてみれば、アマチュアの俺達の活動にとやかく言うなということだ。
興行を意識するのは主催者だ。テレビがそのように大きく取り上げ、さらにプロ野球選手の
ほぼ全員が高校野球を経験する日本なのだから当然だろう。
しかし、興行化には至っていない。
本来の高度な野球に精進させるという興行はまったくできていない。
おもしろいと感じるのは球児が一生懸命やってファンの胸を打つからであり、この部分にだけ
特化した形だ。
スピードアップばかりを掲げ考える時間を与えない、稚拙な判定を毎年問題になりながら繰り返す、
高知商の一件もそうだが規制でがんじがらめの中でのプレーを強いられる。
唯一興行となっているのは、
球児の一生懸命さに、もうここでしか見ることができない古い日本を見せるという意味合いだ。
根性、感動、紐帯、涙、仲間のため、忠誠、長幼の序、序列、我慢、犠牲、一生懸命、夢中、
一意専心、ケガを押しでも、青春、伝統、継続といったことが詰まっている。
都合のいい時だけ教育の一環を持ち出して排除する。
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