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日程緩和すれば登板回避はなくなるⅡ

甲子園がかかる決勝で登板回避し、高校野球のあり方に一石を投じた佐々木について、

昨日からのつづき。

2021-5-25 日程緩和すれば登板回避はなくなる

 

仕組みとは登板回避をせざるを得なかった仕組みの事。

登板回避した理由は、日程の過密だけだ。

だから論点はここになる。

日程が空いていれば佐々木は登板し、賛成も反対も是も非も俎上にのらない。

だから、日程について話題になればいいだけのはずだった。

 

エースを全試合に投げさせることができる日程をベストとするなら難しいことではない。

日程に余裕をもたせるのに問題となることは何だろう。

球場の確保と期間が長くなることでのコストだろう。

しかし、これだけ文化として根付いた高校野球にはどちらも多くの協力が得られるものと思われ、

克服出来るように思われる。

期間が長くなることで、大会への興味や熱が下がることはどうだろう。

これについては、毎日、試合があった方が間延びしないで入り込める。

だから1日の試合数を少なくして毎日やって、期間を延ばせばいいように思われる。

実際に秋は平日開催が少なく日程に余裕がある。

そして大会期間が長い。

学校の授業を考慮して平日の開催が少なくなる。

あとは甲子園大会の場合は全国から集まるから学校側のコストという問題があるが、

地方予選は近所でやるから選手も応援団も費用の心配をする必要はない。

そんなに難しいとは思えない問題を克服すれば毎試合エースを登板させられることができるようになり、

佐々木のような優秀で壊せないピッチャーを観ることができる。

ただ、日程に余裕をもたすことが高校野球の目的に適っているかという見方も一方にはある。

だから高校野球の姿勢と先述した。

 

日程に余裕を持たせるということはピッチャーのためという以外の理由はない。

これは野球が勝敗をピッチャーが100%握っているから起きる現象であり、日程を空けなければいけないのも

肩、肘が消耗品だからということだ。

野球の特殊性で1人の大物ピッチャーの存在だけでチームが強くなる。

とすると、日程の間隔を空け、1人のピッチャーが抑えていくチームが本当にNO.1に相応しいか。

野球がチームスポーツであるなら、総合力があるチームこそが勝ち上がるに相応しいという見方もできる。

そうなると、複数のピッチャーで勝ち上がり、チームの層の厚さで勝つことこそNO.1に相応しい

ということになりそうだ。

 

日程の間隔を空けることを採用するということは、ケガ防止という主眼とともに

1人のピッチャーで勝っていける仕組みということを同時に生み出す。

現状の過密日程を採用することは、コスト削減、観戦者の熱中、を引きだすという主眼とともに、

選手層の厚いチームに勝たせる仕組みということを同時に生み出し、

全国から選手を集める予算を避けるチームを勝たせる仕組みということになる。

そもそも高校野球の名目は教育の一環として、人間形成のために野球を利用し、

そこから多くのことを学ばせる部活動だ。

それは、全国大会を実施し、強者は誰か、日本一の栄冠を与える、という仕組みのない文科系部活動と

存在意義は同列とも言える。

となると、高校野球は技術の向上や野球レベルの向上を目的としていないことになる。

そうなると、どこが勝とうが構わないし、逆に敗けようが構わないという見方ができる。

教育であり、人間形成のために存在しているのなら勝っても敗けても意義があるから。

そうなると、日程など過密でもいいという見方ができる。

 

投げるという動作は人間の体の構造上、不自然な動きなので繰り返せば異常をきたす。

そして、事を大げさにしてしまうのはピッチャーが繊細ということで、肩、肘の故障や

その他の箇所でもそのまま選手生命にかかわってくる。

ちょっとしたこと、深爪程度でもベストピッチはできない。

日程を緩和することは、ピッチャーを休ませるためにあり、それはベストゲームにもさせる効果がある。

真夏の甲子園では、よく、決勝戦が凡戦になることがある。

優勝決定戦という最高峰の戦いが凡戦になるのだ。

それは、エースに頼って連戦を重ねてきたチームがついに、そこで力尽きるからだ。

エースに頼るということは選手層が薄いことを意味し、力尽きたエースとともに

チームは運命を共にする。

大船渡は佐々木の回避とともに心中し、金足農は吉田のもう投げられない、とともに心中した。

 

日程緩和はベストゲームを誘導し、ひいては野球発展につながる。

野球のレベル向上にもつながるのだ。

しかし、高校野球は高校生の野球の勝負や技術の進展を目的としていないし、そもそもが、たかが部活動だ。

最高パフォーマンスの発揮より、人間形成に野球を利用している存在だ。

だからストライク、ボールの判定に代表される、酷い判定にも抗議を許さなく、

改善もしないなどということが100年も続けられたわけだ。

また、明日へ。

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