判定は一切の感情の入る余地のない正確こそが最も大事ではあるものの、その正確というのも、
見極め、受け入れるのは共に最後は人間だ。
したがい、ここで大事になってくるのは納得だ。
映像というエビデンスにより、審判は判定を言い切ることができ、プレーヤーは不満も受け入れることになった。
2022-12-11 不満のやりどころをなくさせる 映像と言う武器による判定
この場ではかつて、副審制により複数のプロの目を持って一瞬の判断で決定しないでゆっくりと
協議して決定することを提唱した。
サッカーにおいても野球においても、副審を多く置くよりも機械による判定が先に導入された。
機械を副審とした、とも言え、さらに機械こそ最高というコンセンサスへとなってきている。
それが自然な流れだろう。
映像による確認は、事実が映し出されていることに疑いを挟む人はいないし、
冷静に落ち着いて振り返ることで敵も味方もファンも抗議している人も全ての人が納得しているから。
こうなったからには副審制に向かうことは考えづらく、どんどん機械に依ることになる。
そうなったとき、高校野球はどうなるか。
高校野球に機械導入というのは抵抗がありそうだ。
とはいえ、機械判定にどんどん慣れていく世間の目があれだけひどい高校野球の判定を静観できない。
高校野球の判定はあそこまで間違いだらけだとハッキリ言ってやっていられない。
勝敗をプレーで決せず、審判が支配しているのが高校野球だ。
高校野球は高校生の野球技術発展や高校生の野球勝負を目的としていないから
その時の大人の一瞬の判断を受け入れさせる。
この姿勢には辟易させられる。