毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

野球の名勝負とはピッチャー対バッターではない

Generated by IJG JPEG Library

野球情報メールマガジン

https://twitter.com/yakyucolumn

投げることと打つことという全く違う行為により対戦の図式をとる野球という競技では

ピッチャーからホームベース間の距離を変えれば、

守っている野手の人数を変えれば、

ボールの硬さや大きさを変えれば、

バットを金属バットに変えれば、

結果は大きく変わる上、競技の内容も大きく変わってくるだろう。

2018-6-1 全く違う動作をするピッチャーとバッターでは対戦という表現は 本来、あてはまらない

 

現に一昔前の社会人では金属バットを使っていたため

打ち合いの試合が多く、ホームラン合戦、10点ゲームという内容だった。

 

統一球、飛ぶボールと話題になったボールの変更でも

打率、防御率、ホームラン数で劇的な変化をもたらした。

 

このように競技のバランスを重視してルール変更が可能な、人間が考え出したスポーツには

恣意が介在すると競技自体が大きく変わることになる。

したがい

投げることと打つことという全く違う行為により名勝負と言われてきた、

村山VS長嶋、江夏VS王、江川VS掛布、野茂VS清原、伊良部VSイチロー、黒田VS松井も

その絶妙なさじ加減においての産物であり、両者の優劣を測るという勝負ではないのだ。

 

名勝負と騒ぐが、

エンターテイメント目線に過ぎないということだ。

このさじ加減が変われば、違う名勝負があったかもしれない。

 

特に受け身で待つ打者には傍で騒ぐ名勝負とは違う

感覚をもつものだ。

 

打者は、手も足も出ない、どうしたら打てるのかわからない、というような球でなければ

勝負に負けたと位置づけられても、敗北感に打ちひしがれるということはない。

打者が打ち取られる最も多いパターンは、打ち損じだ。

打てると思って、手を出した球が自分の思いどおりに事が運ばず、

フライになったり、ゴロになったり、野手の正面をついたりする。

ピッチャーに抑えられたのではなく、ほとんどがうまく捉えられなかったという感覚。

 

清宮は、まだ1軍で結果が出ない頃、

“プロのピッチャーはすごいと思うけど、打てないとは思わない。”

と発言している。

つまり、いつかは打てる感覚をもっており、それは経験不足や自分の技術の甘さなどのせいであり、

克服できる感覚をつかんでいるのだ。

だから負けたという感覚がない。

 

逆に

ピッチャーの立場でいうと、打たれてもショックがない時がある。

 

全力投球でない、まだ隠してある球種、組み立てがある。

ホームランになってもおかしくないような球が単打で終わった、

などの時、打たれた感覚にはならず、特に印象に残らない勝負になったりする。

 

ピッチャーとバッターで名勝負だと言われている戦いも

実は本人達からしたらそんなに大騒ぎすることじゃないよ、

だって次は打てるもん、だって次は抑えられるもん、

と思っているかもしれない。

 

そして、

そもそも全く違う行為をするピッチャーとバッターが勝負しているかと言えば、

そんなことはなく、かつての簑島VS星稜やPLVS横浜、または10.19決戦、WBC決勝、

または、大野VS槙原、田中VS斉藤、といった、

名勝負とはチーム同士の拮抗した展開、ピッチャー同士の投げ合いが

本来の名勝負といえるものなのだ。

野球情報メールマガジン

https://twitter.com/yakyucolumn

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP