そうして、小さいころから続けてきた野球の最終地点として頂点のプロに入った人たちは、
同じ野球をやるものの、今までとは違う文化にとまどうことになる。
2016-12-15のコラム(そんな今までの延長の世界でありながら、選手がとまどう大きなことは何か。そして、それの対処はどうしているのか。)
のつづきとなる。
一番の違いは、お金をもらって野球をやるということ。
そこにはファンへのサービスやメディアへのサービスも仕事となってくる。
そして、もう一つのとまどいがレベルだ。
プロになるほどの人は、たいていが、それまで所属していたチームでは一番の実力者だった。
これまでの、小、中、高では、自分とは全く釣り合わないような下手くそとも一緒に野球をやってきた。
大学へ行った選手でも自分より劣る多くの選手と野球をやってきた。
ところが、プロの世界は、それぞれの所属で一番だった連中しか集まっていない。
そのレベルにとまどうことになる。
イチローは、ドラフト4位で入団し、パンチ佐藤のプレーを見て、
ドラフト1位で入団の、かの選手のプレーの質を感じ取りプロでやれる自信を持ったそうだ。
そんなスーパースター・イチローも3年目にブレイクするまでは、
試行錯誤のフォームを否定されたり、このままでは打てなくなってしまうと涙し、悩んだ。
清原は、1年目のオープン戦では、プロの投手にひねられていた。
記者の「プロのレベルは高いか。」の問いに
「慣れれば打てますよ。」と答えている。
プロで活躍することなく、去って行った多くの実力者たちも
プロのレベルに通用しなかったと思っている選手ばかりではない。
そのときの状況で自分の特徴より他の選手の別の特徴が選ばれたり、
絶対に打てないとまで敗北感を抱いたわけでなく、さらに
プロのピッチャーにどうしようもないというわけでもないのに
2割5分の成績から抜け出せず、2割6分の選手が使われたというわずかな差かもしれない。
慣れが、スターにも、日陰にもし、その差はわずかということがある。
この慣れということがその世界で出世する大事な要素だ。
明日へ続けたい。