昨日からのつづきを展開する。
ランナーはピッチャーが動いてからしかスタートを切ることができないので、主導権は
バッテリーにあり、盗塁は基本的にはバッテリーが勝つ仕組みになっている。
バッテリーが練習通り、イメージ通り決めさえすれば、盗塁は成功できない。
しかし、キャッチャーの数字とされる盗塁阻止率は5割を超えることはまずない。
日本シリーズで6連続盗塁阻止のシリーズ記録としてMVPの甲斐キャノンでさえ5割を切る。
5割以上成功する作戦なら、3割成功すれば優秀である打つ行為より、どんどんとるべき作戦に思える。
それでも、盗塁という作戦を頻繁に見せないのは、プロならではの事情がある。
野球は興行として、人々が喜ぶことを考えてしまう。
勝つことだけを考えればいいアマチュアとは別の世界があり、客の目、ファンの目を意識する。
今の常識として野球選手のスターは?高額年俸選手は?という問いに、野手なら打棒の優れた選手
ということになる。
スターの系譜を見ても、バッティングで優れた成績を残さずしてスターになった選手はいない。
つまり、野球は打つということが華と捉えられ、打つことがファンを喜ばせると信じられている。
そして、ファンもそういう目で野球を観ている。応援歌はかっとばせー!だ。
そこで、ベンチとしては盗塁という作戦はとりづらくなる。
もし、失敗したら監督の無能ということになってしまう。
片や、打たせておけば、監督の采配ミスというより、選手個人が失敗したという目で見てもらえる。
選手も打てなかったことを人のせいにするという発想はない。
自分の技術不足やミスショットとして振り返る。ファンもあいつはチャンスに弱いなーとか、
あいつは今、調子悪いなー。といった目で選手個人を見つめる。
ベンチとしては非難を免れやすいので、5割以上の成功確率をもつ盗塁より
3割の成功確率しかない、打つという作戦を優先する場面が出てくるのだ。
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