昨日からのつづき。
まず、2人とも1年生から高校野球界の主役になってしまったということが世間に対するインパクトを大きくさせる。
桑田に至っては4月1日生まれなのであと1日というより、数時間誕生が遅く、
4月2日生まれだったら清原より1学年下ということになる。
それでも1年生で夏全国制覇をしたのだから、中学生が全国の高校生を破ったとも言えるほどだ。
この2人の進路が大注目された85年、昭和60年のドラフト。
桑田は早くから早大進学を表明。清原は巨人入団を切望という、図式だった。
この2人のそれぞれの意識がプロ側への戦略にも大きく影響し、ドラマを生み出すことになる。
巨人は王監督をはじめ現場サイドでは清原の希望通り指名すると公言していた。
しかし、西武には当時、策士・根本がチームの改革に乗り出していた。
この根本が後世に語り継がれることとなるドラフトを演出し、最大のキーマンとなる。
根本は改革にあたり、高校時代に投手として活躍していた秋山が、プロ拒否の姿勢を示していると、
野手への転向を口実に口説き、ドラフト外で獲得した。
または甲子園でノーヒットノーランを達成し、ドラフトの目玉とみられていた工藤においては、
社会人に進むという本人の発言を受け、指名回避する他球団を尻目にドラフト6位という下位で強行指名。
断られるのを覚悟で下位指名したにもかかわらず、入団させることができる、
おいしい獲得なんていうのも実現させた。
極めつけは、熊本から伊東をわざわざ所沢に引っ越しさせて、職員として勤務させ、
囲い込み獲得という荒業をやってみせた。
策士・根本は、今のソフトバンクの強さの礎も築いている。
その手腕を振り返っておくと巨人V9に遡る。
当時の巨人の9連覇は、川上監督がドジャースの戦法を取り入れ、ONというスターの存在という
幸運とともに達成された。
西武黄金時代は、その巨人V9に倣おうと策士・根本が巨人の野球を取り入れるべく広岡、森を招聘し、
伊東、工藤を強引に入団させ、秋山の成長、石毛、清原というアマチュアスターの幸運な
獲得により達成された。
ソフトバンクもダイエー時代は低迷していた。
ここでも根本が巨人の象徴・王を招聘し、大改革により今の強さがある。
その清原にとって大きな人生の節目となるドラフトついては次回へつづく。
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