昨日はおかやま山陽・堤監督の言を取り上げた。
チェンジアップは打てない、と表現した場合、お手上げという意味にとることができる。
チェンジアップは無視、と言った場合、お手上げだから手を出すな、という意味にもとれるが、
それ以上に打つべき球ではないから手を出すな、という意味が大きいと思われる。
ヒットにしたところでたまたまなだけで打率にしたら恐ろしく低く、
それは再現性がないということであり、その選手のその時だけ成功したに過ぎず、
勝利に近づくバッティングではない。
見逃すことこそナイスバッティングであり、確率が高く、打線がつながる。
たまたま上手く行ったバッティングに溺れて、俺はうまいなどと思ってしまい、
次もやろうとしても失敗する。
そして上手く行かなかった方を逆にたまたま失敗したと思いがちで、成功をまた求めがち。
ボール球を打った成功体験が確率を低くさせる。
スポーツは勝利を目指し、確率の高いプレーを選択する連続だ。
お互いに確率の高いプレーを選択する攻防となるのだ。
互いに同じルールの下、平等の条件下で優劣を決めるので
確率の高いプレーの選択を重ねることで相手より優位に立ち、勝利に近づこうとする。
選手の選択も勝つ確率が高いと思われる配置をする。
誰が投げ、ポジションを決め、どのような打順で点を獲るか。
配球、打ち方、守り方、送球と全て確率の高いプレーを選択、あるいは
勝つ確率が高くなるに最も良いと思われる選択をする。
カバーリングすら確率の選択だ。
カバーリングは、ほとんどがやらなくても結果は一緒なのに、
やっといた方がいいだろうという、もしもの確率に備えるプレーだ。
ボール球は見逃すことこそナイスバッティングということもそういうこと。
打てる球を打って行く回数を増やすことで確率をあげていく。
それはつまり、ストライクを打つということ。
だからボール球を打つと技術に目が行き、あんな球も打てるなんてすごいとなるが、
ボール球をヒットにできる確率が最も高いと思われるイチローだってストライクを打つよりはその確率は低い。
甘い球を打ちに行く回数を増やし、その球をヒットにする確率を高め、
ボール球は見逃す技術を磨くことがバッティングの極意。