桑田が現場復帰して、メディアに注目されるのは稀代の名選手で理論派とされているのに
長く、いるべきとされる場所にいないことにいろいろな思惑があったからだ。
その指導方法が注目されている。
今の現役選手で桑田が活躍していた時代を知っているピッチャーはどれだけいるだろう。
桑田が世間の前に登場したのが高校1年生1983年のこと。
巨人のピッチャー陣でリーダー格の菅野が1989年生まれ。
当然、桑田が活躍した高校時代は知らない。
桑田が巨人のローテーションに入っていたのが20世紀のことなので、もう20年以上が経っている。
リーダー格の菅野が桑田全盛期をかろうじて知っているという程度か。
時が経つのは早いものだ。
桑田が清原とともに高校野球界を席巻していたのが35年ほど前となった。
投において高校野球史上最高の実績があるのが桑田で、打において高校野球史上最高の実績があるのが清原だ。
桑田のその輝かしい野球人生において、今後も並ぶものが現れない大記録が、甲子園通算20勝だ。
戦後で、かつ金属バット導入後、甲子園通算20勝という絶対に今後も破られない記録。
この記録を達成するためにはまず第一に、名門でそれも甲子園で優勝できる実力があるチームに入るということ、
さらに1年生からエースにならなければ、この時点でもう無理という条件がつく。
この時点でとても難しい条件だ。
たとえ桑田のように1年生から名門PLのエースになったとしても、次に夏の予選を必ず優勝し、
秋もそれに準ずる成績が必要となる。
つまり、地方大会に関しては負けが許されない。
記録を伸ばすには、甲子園に出場してはじめてスタートとなるからだ。
しかもPLは、強豪が日本一集中する大阪だ。
そのスタート地点である甲子園に出場したらここでも勝ち続けなければいけない。
少なくとも5季でベスト4は行っとかないと20試合できない。
最低20試合はしないと、20勝にならないのだから。
勝ち星という個人の記録でありながら、甲子園に出続け甲子園で勝ち続けなければいけないので、
1人の力だけでもダメということになる。
仲間に恵まれなければだめということだ。
それは、トーナメントであるため、負けるとそこで終わってしまう。
プロはリーグ戦なので負け続けようと優勝チームと同じだけ試合ができるので、
個人としての才覚で勝ち星をのばすことができる。
甲子園で注目されたピッチャーは数多くいるが、1年生の時からチームを勝利に導いてきた
人はいない。
荒木には優勝経験がない。
江川や尾崎も在学中ずっと結果がついてきたわけではない。
桑田だけ唯一、3年間フル回転して高校球界のエースとして君臨した。
名球会の条件である200勝は今の時代、なかなか出現しなくなった。
打者の方の2000本は毎年のように数人が達成したりする。
投手の場合、一生懸命投げても勝つかどうかは時の運で、1点もやらなくとも勝ちがつくとは限らないのだ。
1試合、体を酷使して相手を抑え、消耗してやっと勝ち数たったの1を手に入れることができるだけ。
ヒットは打てば1本増える。負け試合でも4本、5本と打てば一気に増えることになる。
打者は寝不足や2日酔いでもバットという道具が結果をくれる可能性がある。
桑田甲子園20勝は、不滅の大記録であり、高校選びの時点で可能かどうかが決まるという
前提条件から厳しく、この世の記録で最も難度が高いもの。
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