悪いと思ってしまうのは慣習による思い込みということも多分にあるが、大きくは二つだ。
それはピッチャーが意図していなかった失敗だということと、投球の主導権を握っているということだ。
2024-2-21 打者が痛くなければピッチャーは謝らないし、打者は怒らない
まず、ピッチャーが意図していなかった失敗とは、つまりミスということだ。
ピッチャーが投げようと思ったコースや軌道はそうじゃなかった。
それはベストピッチではなかったということで、失敗ということ。
失敗はピッチャーに限らず、だれでも不満であり、気分は悪い。
本意でない結果によって対戦相手を傷つけてしまっては罪悪感が立つ。
自分が思うようにできなかったこと自体が悪いことをしてしまったという意識につながるのだ。
次の投球の主導権を握っているとは、ピッチャーは競技のスタート権を持っているということだ。
自分次第でいかようにも競技が展開される、ということになる。
こちらが試合の行方、対戦の行方をまず決められるということだから、
ピッチャーにしかない特権とも言える。
そこからいきなり打者へ向かって行く球を投じるなど競技性を失う行為だから
これまた罪悪感が募る。
打者はピッチャーライナーを打ち返しても謝りはしない。
ピッチャーも怒らない。
それは、打者はピッチャーの投球に合わせて打つという主導権がないので、あくまで
対応した結果、という認識になるからだ。
この二点が球界を支配しているが、打者にはバッターボックスが与えられている。
ボックスのベース側のラインより外側のラインに近づいている打者はいない。
ボックス内の半分以上近づくことになる。
そんなに近づいたら少しのコース違いで体にぶつかることになる。
だから、ピッチャーはもっと離れろと言ってもいいことになる。
抜群のコントロールを持っていても絶対はない。
ということはコントロールミスが起きる。
ピッチャーにデッドボールは悪いことという概念が頭に占めていれば
もっともっとその確率は高くなるだろう。